小倉城から南、現在の大手町あたりまで先の戦争中

(太平洋戦争)は軍部の造兵廠(兵器工場)があり、

小倉周辺の女学生、旧制中学生はじめ最盛期で
4万人近い方が働いていた軍部の主力工場でした。

元々、小倉は明治以降昭和20年まで軍都として発

展していました。結果小倉城城下は本来の姿はほと

んど失われ、城下町の面影は完全に喪失してしまっ

たのは残念です。また旧軍都、小倉として忘れては

ならないのが昭和20年8月9日の出来事です。本来

この日は米国の爆撃機、B-29が小倉の造兵廠を

標的に広島に続いて原子爆弾を投下する予定でし

たが当日雲の厚い曇天で標的を補足できずやむなく

目標を長崎に変えました。からくも小倉は難を避ける

ことが出来、替わりに晴天だった長崎が広島とともに

史上最悪の戦禍を被ることになりました。私たち北九

州市民、とりわけ小倉市民はこのことを決して忘れて

はならないと思います。旧造兵廠跡地の勝山公園に

は長崎の鐘が設置され8月9日には毎年慰霊の祈り

がささげられています。紫川沿いの広大な公園として

多くの市民が憩う勝山公園ですが決して忘れてはい

けない歴史のの事実です。

 

 

勝山公園の一角にある長崎の鐘です。写真ですが自分で撮影したものが

不明になったのでネットからお借りしました。

 

 

 

勝山公園のイベント広場です。間もなくここで平成中村座の公演が行われます。