九州鉄道大蔵線は当初計画では現鹿児島本線の

海沿いの沿岸を走る予定でしたが当街道沿いを時

の陸軍の意向で山沿いのコースを走ることになりま

した。旧長崎街道沿いを走り黒崎へ出ていました。

尾倉橋梁の元線路は生活道路になっており微妙な

カーブに線路の跡を感じます。一方橋梁の下も生活

道路ですが山肌からの下り道で、かつては谷川だっ

たように思えます。橋梁の下のアーチ部も煉瓦造り

で100年以上たった今でも線路はなくなりましたが

生活道路を立派に支えています。茶屋橋橋梁が

モニュメント化している今、尾倉橋梁は昔の様子を

とどめている貴重な鉄道遺産です。

 

 

南側、山側の橋梁です。

 

 

橋梁内部から見た天井のアーチです。

 

 

 

北側、海側の入り口です。

 

 

 

橋梁の上から見た図ですが、家が建ちこむ前は溝か谷川だったように思えます。