雨上がりの庭に、ほうづきは順調に成長中。
ギボシのつぼみには、今にも落ちそうな雨しずく、
七十ニ候の「梅子黄」”うめのみきばむ” 梅の実が黄色くなって熟すころと言うのはもう少し先なのに、今頃落ちてどうする。
こちらのギボシは咲き誇って、TVはどこもかしこも長嶋茂雄死去のニュースで持ちきりだな。
確かに”昭和”を代表する大スターだった。
新聞じゃ予定稿といって、近い将来に起こりうる事態についてあらかじめ作っておく記事があり、まったく不謹慎なことだが有名人が歳をとってくると用意しておくもんだが、TVの業界も あんなに素早くいろいろなシーンを見させると言うのは、新聞と同じようなことをやってるんだろうな。
小学校に入った昭和29年、住んでいた信州の田舎町の飯田長姫高校が甲子園の選抜大会で優勝、同じ年に名古屋の中日ドラゴンズも日本一になってオレたちにも野球熱が燃え盛ったが、一番人気があったユニフォームは16番。テキサスの哲と呼ばれた巨人の一塁手川上哲治が付けてた背番号だった。余談だが、後年 千葉のゴルフ場のトイレで川上と逢った時はちょっと感激した。
小学4年の時に一家でこちらに夜逃げしてきて大田区のアパート暮らし。他の友達たちもみんなアパートに住んでいて、そういう時代だったのかな。
フラフープが流行っても買ってもらえずに指を咥えて見ていたが、ある日クラスで一番勉強のできる神田君に家にフラフープがあるからやろうと誘われ、第二京浜を渡った向こう側の彼の家に行った。
瀟洒な庭でフラフープをみようみまねでまわしたあと屋根裏部屋みたいな彼の部屋で将棋をさし、下でなにやら大きな音がするので降りて行くと、ラジオの実況中継でお父さんが興奮して 長嶋が出る!相手は国鉄スワローズの金田だ!
結果の4打席4三振はあとから聞いたけど、その後の活躍で それからは背番号3がみんなのあこがれのユニフォームになったな。
オレは故郷が名古屋に近いこともあって元からのドラゴンズファンだったから、杉下、森徹、権藤、江藤、下っては落合で、巨人も長嶋も長いこと敵だったが、長嶋はいつもまぶしかったな。
サラリーマンになって相当たってから、例の長嶋の引退試合があり、職場でも勤務時間中にもかかわらずTVの前にみんな集まって見ていると、「巨人軍は永久に不滅です」のあと 白いタオルを手にグランドを一周してる場面で、ゴルフの好敵手だった福井のせいちゃんが泣き出して、オイオイ・・・
みんなみんな遠い思い出になっちゃったな。
ヒメシャラの花は一日花、
朝に咲いた花はその日のうちに枯れて落ちて、下は花びらでいっぱいになってる。