出発前夜のネットをのぞくと、五所川原に行く五能線が運転とりやめ?

ど~すんだよ、って切符取っちゃってるしな~。

 

 

 

当日朝のTVのデータ放送を見ても青森は大荒れ。

JR東日本・一日乗り放題1万円切符・キュンパスを持って 出たとこ勝負じゃ!

 

 

 

13日朝、東京駅6時32分発はやぶさ1号に 日本食堂のサンドイッチを買って乗り込み

 

 

 

予定の1分遅れ9時50分 新青森駅到着。

目的地の太宰の生家のある津軽鉄道始発駅・五所川原まで行くにはバスという手もある。

バスじゃ せっかくのJR乗り放題の切符は使えないけど背に腹はかえられない、というか 列車は運休でもバスは走ってるのか?

とりあえず 去年 酸ケ湯の帰りに見かけた三内丸山遺跡見物に行こう!

あの丸太の建造物は必見だからな。

 

 

 

新青森駅10時発の「ねぶたん号」に乗って15分足らずで到着。

 

 

 

ここ、来たかったんだよ。

昔習った縄文の、狩猟・採集してあちこち放浪という時代のイメージを覆す 定住して生活をしていたここの発見、中でもどうしても一度ながめて見たかったのが、あの丸太のヤグラ。

 

 

 

帰りのバスまで1時間足らず、入口であの丸太の建物は どちらの方面にあるのか?と聞くと 中に入って左手に行けば見えてきますから・・・

 

 

 

おお、あれか・・・

 

 

 

 

栗の木でできた高いやぐらを、なんのために建てたかは いまだにわからないそうだ。

 

 

 

大きな穴を掘り、丸太を立てるだけだって、どうやったのかフシギだよな。

 

 

 

 

ここが栄えた約5000年ほど前は、このあたりの海水温は 今より2度ほど高かったが 4200年ほど前に突然寒冷化して当時の縄文人は ここを放棄せざるを得なかったという。

2度という温度差は、今も昔も人間にとっての重大さは変わらないけど、と言うことは あの頃の縄文人は こんな雪の中に立つやぐらを目にしてなかったということか?

とにかく 彼らがどこに行ったにせよ青森出身の太宰や寺山修司などの大男ぶりには、縄文人のDNAが色濃く残ってると勝手に思ってる。

 

 

 

そもそも古代史に興味を持つようになったのは 学生時代に一世を風靡した宮崎康平の「まぼろしの邪馬台国」を読んでから。

 

 

 

 

館内の案内をしてる人に、

あの丸太は なんのために建てられたのか?と聞けば

 

 

 

遠くを見渡すため?景色を見るためじゃ説得力に欠けるな~。

争いはあまりない時代だったから敵を発見するためとは違いますけど 遠くからでも見えて ランドマーク的な役割はあったでしょうね。

あのまわりにみんなが集まって祭祀的なことをしたかもわかりません。

はっきりとした答えは出てなくて、皆さんにそれぞれ考えていただくのがいいんです。

 

 

 

新潟の糸魚川から来たヒスイや、北海道の黒曜石なんかも出てるということは、ここで”市”が開かれる日を のろしを上げて知らせた、というのは?上から北海道も見えるの?

そういうのは あまり聞いたことがありません。

 

 

 

 

「私も何かの機会に上まで登らせてもらったことがありますが、北海道までは見えませんでした」

 

 

 

 

時間だ!

 

 

 

11時13分発の「ねぶたん号」にまた乗って新青森駅まで戻り、11時40分発の弘南バス「エルムの街」行きのバスに乗って途中の五所川原で降りる予定だが、なんだ?エルム街って、モルグ街なら聞いたことあるけど。

 

 

 

「ネブタン号」が新青森駅 東口に着いたのが エルム街行き発車10分前。

南口2番乗り場ってどこだ?

ウロウロしてるとヤバイと思い、去年で知ってる2階の案内所に駆け上がって

「南口の2番乗り場ってどこですか?」

え~、あっち?あっちにバス停があるの?五所川原の方に行くバスですよ。

 

隣のネーサンが オバサンをさしおいて「反対側です。」

おばさんは「オミヤゲ売り場って聞こえた」って、そんなになまってたか?まあマスクしてたしな。

 

 

 

雪のせいか、5分遅れでやってきたバスは、遅れを取り戻すためか雪道にもかかわらず すげェ スピードで走って道路が見えてるところならまだしも、

 

 

 

下が真っ白いところも かまわずに突っ走って、

 

 

 

 

定刻の12時43分 雪の降りしきる五所川原着。

電車よりバスの方が早いんじゃないの?

 

 

 

取りあえずJRの運行状況を確認しようとJR五所川原駅に駆け込むと やっぱり運休かよ。

 

 

 

電光掲示板には、16:46分弘前行きの表示があって 駅員に聞くと「この列車から運行を再開する予定ですが 確実ではありませんから チェックをお願いします」

チェックが簡単にできないから聞いてるんだけどね。

帰りのこの列車に乗れないとなると、早目に太宰の生家を往復して またバスか・・・

 

 

 

JRの駅のすぐ隣が津軽鉄道の津軽五所川原駅。

中でホームが共有されてるのには驚いたけど。

 

 

 

太宰の生家がある金木から隣駅まで歩いて 例の碑を見に行こうと思ったけど この雪だしホワイトアウトにでもなって迷ったらそれこそアウトだし、五能線だって確実に出ると決まってないし 碑は断念かと金木までの往復切符を買って、

 

 

 

列車までの時間が40分ほどあったので 駅前の食堂に入って「ぼんじゅ蕎麦」とシャケのおにぎり。

箸入れに「はしいれメロス」って太宰が聞いたらオコルで~。

 

それより聞いたことのない「ぼんじゅ蕎麦」とは、そばの実の中心部分だけを使ったぜいたくなそば粉を使用し、近くの梵珠(ぼんじゅ)山から湧き出た天然水と合わせて生地を作って3日間寝かせるてるんだって。

柔らかな食感だったけど 遠いところを来た空腹に 優しい味で完食。

 

 

 

待合室のストーブで暖まりながら、それでもせっかくここまで来たのなら あの碑も拝みに行くべきだよな~。

あの五能線に乗って、奥羽本線に乗り換え新青森に着くのは 新幹線の発車10分前、帰りの電車が遅れたり出なかったら その時はそのときか・・・

 

 

 

とりあえず、津軽鉄道「走れメロス」号は五所川原駅13時30分発。

これはストーブ列車ではなかったが、太宰もあちこちに名前を使われてあっちで苦笑してるだろ。

 

 

 

途中の車窓に見えたこの棒、なんだ?

取り入れた稲を架けて乾燥させるやつ?

 

 

 

金木駅 13時51分着。

反対車線にストーブ列車が到着して 大人数が撮影会、といってもみんな中国人らしく、こんなところにも押しかけてるのか。まさか斜陽館までは行かないだろ。

 

 

 

「はしれメロス」号の雄姿を撮って、いよいよ思い出の「斜陽館」へ・・・

 

 

 

道を聞きながら歩いて7,8分、ここだ。

この長いレンガ塀は よ~く覚えている。

 

 

 

入館料600円也を払って中に入り、

 

 

 

お金を借りに来た人や米を収めに来た小作人たちが、いつも頭をさげていたという広い土間を通って上にあがり、

 

 

 

 

リッパな仏間をヨコメに、

 

 

 

この階段だよ。

なんか胸がどきどきしてきたけど、56年前に泊まった部屋は?あの鏡台は?

 

 

 

廊下を進み、

 

 

 

この部屋は、あの時覗いた隣の部屋?

 

 

 

ここか?

鏡台はナシ。それどころか床の間があるじゃないか。しかも8畳。

他も見て回ったが すべて八畳間以上の広さで、三畳か四畳半と覚えてた人間の記憶と言うのはいい加減なもんだな。オレだけ?

 

 

 

そのまたとなりの部屋のふすまには漢詩が書かれていて、向かって左から2枚目のオワリに

 

 

 

「斜陽」の文字。太宰は幼いころからこの字を眺めていたんだ。

 

 

 

「お宝鑑定団」に出せば 良い値がつきそうな大皿。

 

 

 

廊下の外に 屋根から落ちた雪が積み上がって

 

 

 

雪に埋もれた石灯篭の光景も 幼い頃の太宰は目にしてたんだろ。

 

よし、碑を観に歩くぞ。

金木から隣駅の芦野公園駅までクルマで通りかかった三人に道を尋ね、三人が三人ともすぐですよと言ったのに20分もかかって まあちょっと大回りはしたけど、このあたりの人の感覚はせかせかした都会とはちょっと違うな~。

 

 

 

雪が降る中をやっと芦野公園駅に辿り着いて、

 

 

 

駅舎がカフェになってるという、呑み鉄旅でも六角精児がいきなり訪れていたところに寄り、

”太宰の碑は 公園のどのあたりにあるのか?”と聞いても 若い兄さんは そんな碑があることも知らないようで 銅像ならよく聞かれますが・・・”

むしろ銅像なんてあるの?

 

そういえば、最初に金木の駅に降り立ち中学生くらいの男子に 斜陽館はどっちかと聞いてもわからずいきなりスマホで検索し出したからな~。太宰も遠くなりにけりか?

 

 

 

兄さんに公園の入口を聞いて歩き出すと案内の掲示があって、地吹雪のような雪が吹き付ける桜並木を フードをかぶり身をかがめながら行くと

 

 

 

 

ジーパンも靴も、真っ白。

 

 

 

オッ、銅像。

あの頃には まだなかったと思うけどな。

 

 

 

そうして反対側に、これだよ!

 

 

 

太宰が愛したベルレーヌの詩が刻まれ、サイゴの行は手で雪かきし見えるようにしてパチリ。

詩は はっきりと覚えてるけど、こんな形の碑だったかな・・・

 

 

カフェに戻り、コーヒーと金木までの切符を買って

 

 

 

雪の降るフォームで待ってると、来た。

 

 

 

けど、またストーブ列車にはハズレ~。

全部の車両にストーブがついてるわけじゃないんだな。

 

 

 

線路の上に雪が積もって真っ白やないか。

 

 

 

 

車掌さん?

「アテンダントです」

スルメ、焼いたりするの?

「焼きます、焼きます」

来る時に線路脇に立ってた棒は稲を干すためのものか?と聞けば、

 

 

 

また丁度そこに差し掛かり、コレは雪から線路を守るための棒です。近所のお百姓さんが立ててくれるって 地元に愛されてる鉄道なんだな。

 

 

 

 

雪まみれで津軽五所川原駅に戻り、

 

 

 

隣のJRの駅で聞くと、16時46分発の列車は、雪かきも終わって 定刻通りに走りそうです。

40分ほど時間があり、観光案内所で聞いて 雪の中を5分ほど歩いて着いた「珈琲詩人」という名前の喫茶店は やってません。

 

 

 

駅近くの洋菓子店の中をのぞくとテーブルがあり、座れそう?

飲み物は津軽だしリンゴジュースと それになにかケーキをみつくろって持って来て・・・

 

 

 

そしていよいよ問題の五能線。

JRだからキュンパスが使える。

 

 

 

 

16時46分発の列車は 4分遅れでやってきたが雪かぶり。

弘前行きだから、新青森に行くには途中で乗り換えるが、新青森での新幹線乗り継ぎ時間は10分。

 

 

 

側面も真っ白。

ダイジョウブか~。

 

 

 

 

 

雪が窓に叩きつけられて、ワッ、ワワワ~

クールファイブのウシロのコーラスじゃないんだから・・・

前が見えないのによく走るね~。運転席にはワイパーがあるか。

あのバスの運転手もそうだったけど、線路も見えない中をよく走るもんだ。なにか障害物でも埋まってた日にゃオッコチだろ。

クルマで200キロで走る以上のスリルを味わいながら、

 

 

 

夕闇が迫って来た頃、奥羽本線に乗り換え駅の川辺に8分遅れで到着。

まあ乗り換え時間が24分あったから良かったけど・・・

 

 

 

 

蹴散らしてきた雪が正面にこびりついて、

 

 

 

やっとここまできた。

 

 

 

川部駅17時47分発 JR奥羽本線 快速青森行きは、1分遅れで新青森駅に到着。

 

 

 

乗り換え9分しかない!

車内で食べようと思ってた弁当売り場が見当たらず コンビニ弁当は食べる気せん。

地方新聞だけ買ってサイゴの列車に乗り込めば、

 

 

 

「県内 きょう大荒れか」「五能線一部運休」の見出しが踊ってたが、こっちはなんとかかんとか予定通りに進み 56年ぶりの想い出旅に1万円で行ってこれりゃ ヨシとせにゃな。

 

 

 

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