ジジババコンペで 夜明け前のアクアラインを渡っていると ラジオからサルバトーレ・アダモの「ブルージンと皮ジャンパー」が流れ、一緒に鼻歌など歌えばたちまちにあの頃に引き戻されるな。
京都左京区岩倉の下宿のヨコにあった小さな喫茶店の名前は「ポエマ」
どうしてポエムじゃないのかと思ったけど、英語じゃなかった?
マスターは額の剃りあがった痩せ型のバクチが強そうなタイプで、店にはめったに顔を出さずにアルバイトのマリちゃん任せ。
マリちゃんは随分とお姉さんに見えたが28,9歳くらいだったろう。
お客なんかめったに来ないし いつも隅っこの決まった椅子に寄りかかって ステレオでレコードを聴いていた。
ある日、店に入った時に流れていたのが 初めて聞くこの曲で、「歌っているのは男か女かわかる?」と言われて首をひねった覚えがある。
下宿のトナリの部屋は、一年ヨケイに勉学に励んでいた5回生のコンドーさん。みんなはオッチャンと呼んでいて、若い頃は射撃でオリンピックを目指してたらしかったが、ある晩、酔っ払ってエアライフルを持ってオレの部屋に来て、柱に向かってズドン!柱に食い込んだ弾の鉛のお尻がずっと見えてたな。
ついに、おっちゃんがマリちゃんとのデートの約束を取りつけ、背広を貸してくれと言ってきたのは夏休みが始まるちょっと前だったかな。
一張羅の紺の背広を試着してみたけど、ズボンのお尻がパッツんぱっつん、座ったら破れるよ。
背広はあきらめたが、暖かく艶かしい夜にデートに出かけたオッチャン。
翌日、まわりのみんなは興味シンシンに首尾を聞きたかったけど何も聞けず、オッチャンも何事もなかったように そのあともポエマに通っていた。
そして問題は、そのポエマの2階。
近くの宝ヶ池に国際会議場が出来てからあのあたりは風致地区に指定され、雀荘は不可。というわけで 剃りこみの入ったマスターがナイショで卓が3っつしかない雀荘を開帳していて、夜は外に光りや音が洩れないように分厚いカーテンで仕切ってあった。
オレもオッチャンに誘われて何度か行ったが、学生マージャンと違ってレートが高くサラリーマンなどもいたな。
そうしてついに、垂れ込みがあって警察に踏み込まれ、タマタマ運の悪いことに卓を囲んでいたオッチャンも捕まり、四国の親のところにも連絡が行って、そのまま卒業することもなく帰郷のハメに。
風の便りで四国の宇和島で警官になったと聞き、マンガのように拳銃を振り回してなきゃいいけどな~って皆で言い合ったもんだ。
ポエマもしばらくして閉店。そのあとには「じゅんさい」というシャレた名前のレストランができたけど、マスターもマリちゃんもその後はまったく音沙汰がなかった。
前書きが長くなったが、コンペはドタキャンが一人いて7人@房総カントリー。
ここは2年後に日本オープン開催されるらしい。
昼は房総御膳。
誤球あり、池ポチャあり、ダフリトップは数知れずの50,49は99。
サイゴでパーを取り、かろうじて100を切ったのがせめてものナグサメ?
コンペの回数は重なっているが、メンバーの年齢はますますあがり免許返上とともにゴルフもヤメという人がアッチにもこっちにもいて、ちょっと前までは4組でやってたのが、どうにかしないと会も消滅のキキだぞ。
まあ、いろいろノーガキは多くても ちゃんともらうものは貰って、暖かい一日を楽しんできたのでありました。