10年を一昔と数えれば、2005年の12月4日にブログを始めて昨日が丁度20年目、もう二昔も経ったというハナシだ。
区切りの日に、夜明けの富士山を眺めるのもいいだろと4時起きしてトラックばかりの東名を下り、裾野インターで降りて十里木高原の駐車場にクルマを停め、越前岳登山道をエッチラ、50分かけて馬の背という見晴らし台のベンチに陣取った。
いつも山梨側から眺めることが多いけど、朝はどうしても逆光になってしまうので今朝は久しぶりにコッチ側から・・・
二十年まえといえば、オレもここに来てくれてた人たちもみんな若かったな。
タイガー・ウッズ全盛期で、タイガーとブログ名を付けた名古屋の青年は40歳近かったのに独り身。
女性にはオクテ?で、カワイイ名前の人に入れ込んでも亭主持ち、そのうち職場に入ってきた人にホレてどうしようと悩めば 周りのオバサンたちは一斉に囃し立てデートに誘え、中には押し倒せ~なんて勇ましいのもいたけど、みんなどうしてるかな?
一番驚いたデキゴトは、やっぱりチャフラフスカの件だな。
朝日新聞に、前の東京五輪の時に刀を贈られた彼女が「大塚隆三」という人を捜してるという記事が載り、丁度伊豆に囲碁旅行に出かけてたオレ達が アイツのことじゃないか? ゴルフの朝、集合時間になっても姿を見せずにどうしたのかな?って思ってたら布団の中で死んでたんだけど それはもう相当前のハナシだぞ、というようなことをブログに書いてしばらくすると、スポーツライターの長田渚左さんから連絡があってハナシが聞きたいと・・
後に出されたベラ・チャフラフスカのことを書いた「桜色の魂」と言う本の 大塚さんの刀の件は肝心のところだったらしく、大塚さんの会社の専務だったアベさんを知らないか?
アベちゃんとも連絡を取って久しぶりに会い、あのあとチェコ大使館での出版記念のパーティーにも招待状が来たけど、あんな晴れがましいとこ行けるかって断わったな。それから彼も囲碁会の常連になったのだがコロナで会は自然消滅、彼の電話も、現在使われておりません。ヤツもまた死んじゃったのかな。
リュックに入れて持ってきた一式をベンチの上において朝ラー。
箸もちゃんと用意して待ってたら、急に吹きだしてキャベツが飛び散ったけど、富士山じゃなくてラーメンの噴火でよかった。
完食。
ヨコに立てかけてあるのがタイムラプスカメラ。
ヒジのサポーターの中にホカロンを入れて電池がダウンしないように気を遣ってるのだ。
朝日が当たってきて、さあ行くか。
こちら側から見ると、宝永火口あとがナマナマしいな。
南アルプスの赤石や悪沢も朝日で雪が輝いてる。
十里木高原の展望台まで降りてきて一枚。
目の下のゴルフ場にも陽が射してきて、カーンとボールを打つ音が響き、もうスタートしてるのがいるのか?
この季節なのにまったく寒くない、というか少し汗をかくくらいで、朝焼けの富士を見て、夕景の富士山もみたいな~と思ったときに、途中の時間をつぶすにはやっぱりゴルフだろ。
振り返ると、ススキの上に筋状の雲が流れ、
駐車場で富士山を見上げて、そこから3分の、
十里木カントリークラブ。
ここもアコーディアかよ。
練習場からも、どこからでも富士山。
数日前に電話で予約したときに、お一人様、4千いくら・・・安っ!冬場料金か?
標高1000m、夏でも涼しい。が 謳い文句ということだが 冬はどうなんだ!。
静岡から来たというオジサンと2サム。
富士山を観にきたついでのゴルフといえば、静岡ではいつでもどこからでも富士山が見えますからね。
「あまり近いとアラが見えちゃって・・遠くから見るのがいいですよ。」
そうだね~。福島の燧ケ岳も赤石岳からも、諏訪湖から見たのも良かった。
静岡のオッサンの左奥に、富士山の方向を示す看板が立っていて、あちらからはバカ早いグリーン。
昼食のジンギスカンの上にも富士山。
雲が出てきた?
山梨側から見る富士山もいいもんですよと、ちょっと言えば、
「富士山は静岡のもんですよ。所有者は頂上に立つ浅間神社、本宮は富士宮にあって静岡県ですから」
地元愛の強いおっさんだった。
ステンドグラスも富士山。
向こうに見えるのが朝、中腹の「馬の背」まで登った越前岳。
山の上から故郷の越前が見えたらいいなと名前を付けたということらしいけど、朝、目を凝らすと富士山の裾野の向こうの南アルプスのヨコに白い山が見えて、あれはもしかすると白山?見えたらいいなじゃなくてホントに見えるのか?不確実情報だけど。
ゴルフは45,45の90の上出来で終わって再びススキの道を登り、ひと気のなくなったゴルフ場を見下ろしながら、
夕日に照らされた富士山を眺め、
陽が落ちて暗くなりかけの山道を下ると、
ヘッドライトに照らされたススキと 空に眉のような細い三日月が見えて、長い一日が終わったのでありました。