アチコチから紅葉の便りが聞こえて、オレもどっかに観に行くかなとクルマを走らせて精進湖のほとりに着いたが
富士山は雲の中にお隠れ。
まあ昼から晴れてくる予報を頼りに、
精進湖をチョット行った先の、中道往還という峠道を入って
すぐのところの神社の「精進の大杉」見物。
ボーシを置いたけど、大きさがわかってもらえるかな?
国の天然記念物で、樹齢1200年って、別名千年杉とも呼ばれる御神木だそうだから、アタマを下げて、
道中の看板には この道は甲斐と駿河を結ぶ旧道で弥生時代には文化の交流に、戦国時代には武田の軍用道路、江戸時代には駿河湾で獲れた海産物や生魚を甲府盆地に迅速に運ぶ輸送路として盛んに利用され、その証が阿難坂に立つ「生魚の二十里は走る郭公鳥」の句碑だそうで、それは是非見てみたいもんだ。
廃屋をヨコメに、どんどん奥に分け入って行くと、
ダム?
ダムの前後を何度も横切って、
このまえ、NHKBSでちあきなおみデビュー55周年とかいう番組をやっていて たまたまチャンネルを合わせたときに流れていたのが「黄昏のビギン」
そもそもは 石破より先の三白眼の水原弘が歌った歌だ。
レコード大賞まで獲った「黒い花びら」のあとに「黒い落葉」を発売し そのB面がこの歌だったそうな。
武田が軍用道路に整備した石垣のあと?
♪ 雨に濡れてた たそがれの街~
鼻歌で歌いながらゆくが、スローテンポが歩調にあわない。
ほんのりと甘い香りが漂ってきて、また、あの香りだ!と上を向くと 丸い葉っぱの桂の木。
香出(かづ)らが転訛したと言われているくらいのもんで、葉っぱからマルトールという成分がでてるらしい。
結構な坂道が続いて、ビギンのリズムが丁度良くなってきた頃に
阿難坂到着。1時間のところを1時間半もかかっている。
「難」という字が示す通り、中道往還の中でも難所とされ、昔、身重の女性が道中で出産後、母子ともに亡くなり、供養のために子を抱いた石地蔵を建てられ、その石地蔵が「女石」と名付けられたことから、別名を「女坂」とも呼ばれるという。
そっちに行けば上九一色村って、あのオウムのところか?
それよりオイッ、石碑が倒れてるやないか。
目を凝らすと、「魚の」というところがかろうじて読めるな。
黄蝶発見、なにかいいことあるかな?
朴の木のでかい落ち葉。
やっぱり紅葉は青空に似合うな。
芽を出したばかりのようなクヌギ?の木も一人前に黄葉し、
2時間半がかりで三方分山到着。
三方分山とは、旧村名である古関、八坂、精進の3村(いまは、甲府市、身延町、富士河口湖町)の境界にあったために付けられたことに由来するという。
富士山は、まだ雲の中かよ。
昼からは晴れるって言ってたのに・・・
右の甲府側は深いモヤの中。
♪傘もささずに僕たちは
歩き続けた雨の中
あのネオンがぼやけてた~
永六輔もあのカオでよくこんなロマンチックな詞を書いたな。おまえにゃ言われたくない?
小さな祠のまえに小銭・・・
手作りの看板の精進山通過?
アレ~、三年前に↑ 反対周りで来た時に寄った見晴台を過ぎちゃったかな?
入口がややこしかったし、今日はどうせ富士山も雲のなかでまあいいかと進むと、
また落し物のメガネがぶら下がって、だいたいこういうメガネは派手目なのが多いな。
見晴台で昼飯を食おうと思ってたのに食いそびれて、
精進峠。
ここを降りればショートカットで精進湖のほとりまで行けるが、もちょっと足を伸ばして このまえ中秋の名月を見損なったパノラマ台まで足を伸ばすつもりで ちょっと倒木に腰掛けてセブンのお稲荷さんを食い、
「散らねども かねてぞ惜しきもみぢ葉は 今は限の色と見つれば」@詠み人知らず
散ったけどな。
あの先がパノラマ台か・・・
着いてみりゃ、やっぱり富士山は雲の中?中秋の名月の二の舞じゃないか、と見るまに雲が流れて頂が姿を現わし、アレは雪じゃないか?
雲の合間に頂がうっすらと白く見えて、今期初冠雪だろ!
トランプのニュースのあとに、 昨日は雲があって確認できなかったけど立冬の今朝7日、甲府地方気象台の職員が目視で確認して、「明治27年・1894年の観測開始から最も遅い観測となりました。」と発表があったが、オレは昨日ちゃんと初冠雪と認定したからな。
いつもの木橋を降りて、
精進湖ワキの山田屋旅館の、ダレもいない日帰り風呂の向こうに湖面は見えるが富士山はまた雲の中。
上九温泉と書かれた看板の効能書きを読みながら 6時間も山中をさまよった疲れをユックリと温泉に浸かって帰ってきたのでありました。