さすがの暑さも収まってきて芝の伸びもゆるやかになったけど、久しぶりに芝刈り機を引っ張り出し いざ始めようとするとブ~~ンと蚊が飛んできて、それと同時にナニもスプレー片手に飛び出してきて

「性格の悪い蚊をこれ以上増やさないで」

毎度お決まりの文句を吐きながら カオや腕や足に お構いナシにシュシュシュ~~~。

 

 

 

「秋まで生き残されている蚊を哀蚊と言うのじゃ。蚊燻しは焚かぬもの。不憫ゆえにな。」

太宰に「哀蚊(あわれが)」という掌編があって、

家の繁栄の犠牲となった美しい老女は、実の孫ではない「私」への秋の寝物語として、生き残った哀蚊の不憫を語って聞かせる。
「なんの哀蚊はわしじゃぞな。はかない……。」

 

幼い「私」を抱きしめ、その両足を自分の脚の間にはさんだまま、老女はそうつぶやきました。
そしてこの美しい「お婆様」を誰よりも慕っていた「私」は、ある晩、幽霊を見たのです。
やはり秋、「私」の姉の祝言の晩。騒々しかった宴会も静まった頃。
目をさますと、「私」に添い寝していたはずの「婆様」が居ず、厠に行こうと一人こわごわ部屋を出た娘の目の先に、見えたもの。

青蚊帳にうつした幻燈のようにぼんやりと、しかし確かに夢ではなく。
暗く長い廊下の片隅、新婚の二人の寝室の前に、白くしょんぼりとうずくまり、中をうかがう小さな幽霊。
「幽霊。いえいえ、夢ではございませぬ。」(完)

 

10代でこんな小説を書いてやっぱり太宰だけど、オレが子供の頃 田舎のお婆さんから聞いたのは、この道をず~~っと奥にいったところにある小さなお寺の年取った尼さんは、今頃の季節の夕方になると本堂の縁に座り着物の裾から足を出して蚊に血を吸わせている・・・

 

昔この「哀蚊」を読んだときに、お婆さんに聞いた話しと妙に繋がって印象深く覚えてるが、この「哀蚊」という言葉は季語にでもなってるのか?と今は便利な世の中だからちょっと調べてみたけど溢蚊(あぶれか)=「秋の蚊」のこと。「溢る」(ラ行下二段活用)は「落ちぶれる。さすらう。」の意味である。つまり、「溢蚊」とは落ちぶれた蚊のことで、弱々しく飛ぶ秋の蚊をいうのである。

というのはあっても「哀蚊」はなく、どうも太宰の造語?それとも津軽の方ではそういう言い方があるのか?

 

 

 

 

一本の茎から33個もの花が咲いたタカサゴユリは、帰化植物だから花が咲いたらチョンというような無慈悲なことはせずに見守ったら種が大量にできてきた。

突然変異の、花が大量に咲くユリのタネだと売り出したら大もうけできそうだけどな。

 

 

 

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