三連休の真ん中の日曜日、鎌倉薄暮に駆けつけるとカートにバックティー使用の旗が立っていて、他の三人はどうみても5,60代。一人だけ前でやるのもカッコ悪いと一緒になってやったけど、どうしても10~20ヤードはおいてゆかれる。

 

 

 

明日の敬老の日は イトコの奥さんの通夜があって、斎場が江戸川区の船堀。

まったく土地カンのないところで 江戸川のことならとパコーンに電話して 横浜から船堀まで電車だとどうやって行けばいいのか?と聞くと

 

スカ線か東海道で新橋か東京駅で都営浅草線に乗り換えて、東日本橋で降りて歩くとバクロー横山と言う駅になるから都営新宿線に乗り換えて船堀まで、すぐですよ。

 

どこがすぐじゃ!一回聞いただけじゃわからないようなことをぺらぺら言いやがって もっと簡単な行き方はないのかよ!

それなら、横浜から京急に乗ればカンタンですよ。

 

 

 

京浜急行はスピード出し過ぎて怖いからイヤだ。

「クルマならもっと飛ばすじゃないですか」

他人の運転がいやなんだよ。

 

 

結局自分で調べて月曜の敬老の日の夜、船堀の斎場に着くと花輪がぐるりと立ち、中には滝沢秀明やコロッケなどなど知った名前もあり、彼女は体操の選手だったが 学校を出た後はアクロバティック・ダンスの第一人者として活躍、紅白歌合戦にも4回も出てソロで天上から綱を降りてくる演技をするなど 同僚、お弟子さん達も多かったのか参列者たちが引きもきらず300人近く・・・

 

54歳の若さで病に倒れ、急を聞いて集まってくれた皆さんは、それぞれひとかたまりのグループになってあちこちですすり泣く声が聞こえ、一方、母方の一番年下のイトコも体育系大学の出。

二人が知り合い、信州の実家に彼女を連れてった時にヤツは天竜川の河原で滑って頚椎損傷の大事故に遭い車椅子生活を余儀なくされた。

彼女にはこの話しはなかったことにしようと言っても がんとして聞き入れてくれずに 先方のご両親も納得されて結婚。その式の仲人をナニと二人でやってから まだ二十数年しかたってないのに・・・

 

彼女はダンスの新天地で活躍し、いとこも電動車いすで 戦前、ひいじーさんが暮らしていたアメリカに行き その痕跡を片田舎の教会で見つけたり、障害者支援団体の理事長になってしっかりやってるなどと聞いていたので 突然の訃報にびっくり。

 

彼の家の作法にのっとって、神主さんがきて神式 ニ礼二拍手(忍び手)一礼の列は延々と続いて、遠くから来た他のいとこたちとも話しができ、葬式とはそういう場でもあるんだけど、それにしても若すぎるよな。

 

 

 

昨日は葬儀に今度はクルマで再び斎場まで出かけ、早かったので駐車場のある船堀タワーにあがってスカイツリーを眺め、この日もたくさんの人たちにお出でいただいたが、今日は時間に限りがあるからと 榊を捧げて一礼のみ。

 

棺に花を入れながら すすり泣き、号泣、こちらももらい泣きをしながら 彼女は本当にこれでよかったんんだろうか、イトコの介護もしてくれながら 生涯現役とダンスに励んだ人生。短かったけど濃密な人生だったと信じたい。

イトコには、これから彼女の分も強く生きろよ。今夜は中秋の名月、精進湖のほとりの山に登って、月に彼女の冥福を祈ってくると言い残してクルマに飛び乗り 新宿から中央道を抜けて、

 

 

 

月の出まであと2時間、多少焦りながら 山道を行けば富士山と 下に精進湖が見える。

 

 

 

トリカブトも咲いてるが、

 

 

 

花はまだつぼみなのに、葉っぱがすでに枯れかかってるのもあってやっぱり暑さのせいだな。

 

 

 

陽が落ちてきて、やっと尾根の上に出た。

 

 

 

前方が もやっている?

 

 

 

大汗をかきながらやっと着いたパノラマ台は、まえに大きく見えるハズの富士山は どこだ?

 

 

 

ススキと富士山と中秋の名月。こちらの舞台は整っているのに肝心の月と富士山が・・・

世の中は、思い通りには行かないということだな。

 

 

 

月の出の時刻をすぎて、モヤはますます深まるばかり。

 

 

 

真っ暗闇の山道をヘッドランプを頼りに降り、それでも西の方角に行けば まだ見られるところがあるかもと本栖湖から富士宮の方角にクルマを走らしたけど、晴れるどころか霧雨まで降ってきて これはみんなの流した涙なのか・・・

 

 

 

京急に負けないスピードで夜9時過ぎに家に帰り着くと、ヒョウタンのつるがからみついたナツメの木の向こうに 朧な中秋の月が見えて、おもわず手を合わせたのでありました。

 

 

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