オリンピックがアマチュアの祭典なんて言ってたのはいつの時代のことだろ?

今やどこかで戦争をやっていてもおかまいなしに、大きなお金が動く一大イヴェントになって、まあそれを楽しみに見てるんだから、文句を言えたギリじゃないけどな。

 

昨日の昼間、再放送らしかったけどNHKTVで 「映像の世紀 バタフライエフェクト」を見ていたら オリンピックに合わせた内容で、1912年のストックホルム大会のマラソンに出場した金栗四三は、途中日射病で倒れて行方不明になり正式にゴールしてなかった。その後、55年経ってからスエーデンのオリンピック委員会に招待され、帽子に外套姿のままでゴールテープを切り 記録54年8ヶ月6日5時間32分20秒って・・・

 

 

1968年のメキシコ大会といえば、釜本・杉山が大活躍して銅メダルを獲ったサッカーくらいしか記憶になく、その後杉山がドイツのクラブに2000万で誘われたのを断わって、もったいないねぇハナシだなって思ったが、冒頭の黒手袋してコブシを突き上げてるシーンは強烈に記憶に残ってるな。

 

 

メキシコ大会陸上男子200メートルの表彰式で、1着 アメリカのトミー・スミスと3着ジョン・カーロス 二人の黒人選手はうつむいたまま革手袋の拳を突き上げた。

あの頃、アメリカでは黒人差別反対運動が激化し代表選手に選ばれた彼らも出場をボイコットしようとしたが、IOCのブランデージ会長には猛反対され、ボイコットを支持していたキング牧師が暗殺されて、よ~しそれならメダルを獲って表彰式で・・・と思ったというのは想像がつく?

 

 

首尾よく二人は表彰台に立つことになったが、二人のあいだに割り込み2着に入ったのがオーストラリアの白人ピーター・ノーマン。

表彰式の前に一組の黒い皮手袋を分け合ってるのを見たノーマンは全てを察し、「僕はなにをすればいい?そのバッジは余ってないか?」

 

 

黒人差別への抗議を示す黒い皮手袋をしたスミスとカーロスがコブシを突き上げ、スタジアムは一瞬静寂が・・・そして歓声とブーイング。

そのまえで、胸に人権プロジェクトのバッジをつけ2着の表彰台に立っていたノーマンは うしろで何が起きていたか わかっていたのだろ。

 

当時オーストラリアだって白人優先の白豪主義の真っ只中、帰国したノーマンは二人に同調したと非難され陸上界でも冷遇、次のミュンヘンにはタイムを持っていながら派遣されなかった。

スミスとカーロスに至っては、オリンピックを根底から揺るがす大変な衝撃をもたらしたとして即刻メキシコを去るよう宣言され、以降オリンピックから永久追放の憂き目に。

 

 

 

 

ノーマンは2006年、64歳でこの世を去った。

忘れ去られたアスリートとして生涯、名誉が回復されることがなかったノーマンだったが、オリンピックをともに戦ったスミスとカーロスはオーストラリアでの葬儀に駆けつけ、ノーマンの棺を担いだ。

 

 

3人はずっと連絡を取り合っていたようだった。ノーマンの死の前年の2005年、スミスとカーロスの母校である米カリフォルニア州立大サンノゼ校に 表彰台で拳を突き上げる 名誉を回復された二人の銅像が完成した。だが、銀メダルの場所にノーマンの像はない。これに2人は怒り「建てるな」とまで言ったそうだが、

 

 

 

2位の場所を空けることを望んだのはほかならぬノーマンだった。彼はこんな言葉を残した。「誰もがこの場所にのぼって、そこで自分たちが信じるもののために立つことができるんだ」

 

 

 

表彰台の2位の台は、あなたたちが立つために空けられているのだろうと・・・

暑さも吹き飛ぶようないいハナシだったけどあれから56年経ち、確かにオリンピックは変わったが 人間はあのころと少しも変わらないな。

 

 

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