枝が伸びて2度も切り戻したペチュニアだかサフィニアがまだ咲き残り、昨日は4年ぶりの平塚七夕祭りが行われたとニュースでやっていた。
オマエら、ちっちゃいころ ここの七夕に連れてってやったの覚えてるか?
「知らん」
電車に乗って行ったろ!七夕飾りの会場に行く前に 欲しいっていうから綿菓子だって買ってやったのに・・・
「ゼンゼン、おぼえてません」
二人で口をそろえて、薄情なやつらだな。
近くに住む妹夫婦が、ダンナさんの故郷の北海道北見に行って来たとメロンを送ってくれた。
ダンナは6人兄弟、もうみんな良い年になり 元気なうちにここら辺りで逢っておこうというハナシになったらしい。
良いな、北海道。今が一番良い季節なんだろ。
オレも遠い昔の学生の頃、青函連絡船に乗って行ったことがある。礼文島に渡ったときは、前年に生まれた天皇の第2子が礼宮と命名され「礼」の字が入ってると 島民が喜んでたって、もう60年近く前のハナシなのにちゃんと覚えてる。
横長のリュックを背負い、列車の通路をヨコになって歩いてたからカニ族と呼ばれ 友達と二人で列車の通路に新聞紙を敷いて寝た。
確かあのころ、夏休みのあいだは国立大学の学生寮に100円?で泊まれて 弘前大や坂をずっと上ってった小樽商科大の 住人が帰省して空いた部屋を借り こんな本を読んでるのかと本棚を眺めながら泊まらせてもらった。
帰りは友達と別れ、一人で津軽鉄道に乗り太宰の生家 斜陽館に一泊。大きな家は旅館になっていて小説に出てきた広い土間からリッパな階段を上がった隅っこの部屋は、昔の女中さんの部屋だった?と、今でも勝手に思ってるが 小さな鏡台がポツンと置かれたその部屋のことだけが一番強く印象に残っているな。