駒ヶ根のホテルの窓から 翌日に登る中央アルプスに陽が沈むのを眺め、
月曜日はメイの子供におにぎりを全部持ってもらって、長い檜尾尾根を堪能?したあと、故郷の飯田まで南下しバタンキュ。
山登りの疲れで熟睡した故郷のホテルの朝食はバイキング。
必ず食べる納豆に味噌汁と海苔、ミニトマトと焼き魚、温泉卵、ウインナー おなかイッパイになって”さあ、行くか?” メイの子供を促すと
「ちょっと待って、もう一杯」
オマエ、まだ食べるのかよ~!
ご飯をおかわりし、おまけに小皿にロールパン2個載せて戻ってきた。
まあ今日は ヤツの夕方の塾までに帰りゃいいんだからゆっくりでいいんだ。
オレもコーヒーを飲んでまったりして、出発。
近くのお墓に寄って線香あげてから、風越山のふもとにある白山神社の里宮詣で。
奥宮は、5年前に山登りを始めるきっかけとなった風越山の頂上に鎮座する。
子供の頃 いつも眺めていた南アルプスの山なみがズラ~ッと見える駐車場にクルマを停め本殿にお賽銭をあげてから、
ここおぼえとけよな。オマエのお母さんのお母さんのお父さんのお父さんが建てたヤシロだ。右にある石碑に俺んちの故事来歴が彫ってあるんだ。シェルパが表面を触りながら もう字が読めなくなってるんじゃない?
いいんだよ。ちゃんと拓本を取って表装して掛け軸にしてあるのがウチにあるから。それにこの碑文を書いてくれたのは日夏耿之介っていっていう昔の詩人だよ。知らんだろうけど・・・
そして、飯田に寄った第一目的 例の山頭火の石碑を拝みに行こう!
近くのはずだが 一応ナビをセットして走りだしたら工事中で通行止め?
迂回路を見ようと車を停めて看板を覗き込んだら、リニア新幹線の工事のため!
あと、何年後だ?できりゃ東京から30分で来れるらしいが 生きてるうちに間に合うのかどうか。
「山しづかなれば 笠ぬいでゆく」 山頭火
神社からほど近い円山公民館の前庭に 石碑があった。
碑陰には”山頭火は山口県防府市の人昭和九年四月來飯今宮風越館の花月庵句会に臨み肺炎のため川島医院に入院九死に一生を得て其中庵に帰るその旧跡に此の碑を建つ”とある。
さあ、帰るか。
オマエ、足痛くないの?
「太ももがちょっと・・・」
それでいいんだ。
中央道をブンブン、メイのところに無事にシェルパを届ければ
「山よりおじちゃんの運転のほうが怖いからシンパイしてたけど」ヤカマシイ
三日ぶりに見るひょうたんはますます巨大化して、オッコチないよう袋をかけるか。