こんなご時勢に、熊野古道を歩いて熊野三山を巡ってくるなど なにか後ろめたいキモチでこそこそと羽田に着けば、リュックに差したストックが手荷物検査でひっかかり 中に持ち込める長さの範囲を越えてます。
白浜に着いてすぐにバスに乗らなきゃいけないし、必死でストックを縮めてなんとかオッケー?
そしたらアナウンスが盛んにあっちの天候が悪く、関空か羽田に引き返すこともあると叫んで オイオイ オレなんか昔の上皇や天皇に倣って 疫病退散願いに行くんだと 会社に大見得を切って出てきた手前 オメオメと帰れるか!
幸い雲がかかっているが富士山も見え、強風に揺られながら南紀白浜空港着陸、バス停を探してウロウロしてるとバス会社のネーさんがやってきて どちらに行かれます?
あとでとても重宝した熊野古道の案内地図をもらったり いろいろなパンフをもらとその中に 熊野大社から速玉神社まで船がある? これは前日予約したほうがいいと言われ すぐ電話したら 三人から船を出しますがまだオレだけ?夕方 こちらから電話しますというんで番号を言い、
バスに揺られること2時間近く、やっと出発点の牛馬童子口につき うっとうしいマスクをはずして いざ 行かん!
コロナ騒ぎがなきゃ外国人に人気の道、お陰といっちゃバチが当たるがひと気のまったくない古道。
大体が、コロナ騒ぎの始まる前にマゴたちとナニのふるさとの紀州にパンダを見に来る計画を立て、オレだけ別行動で熊野古道を歩こうと 旅館の予約をしようとしても桜の季節はもう予約でイッパイと断られ やっと取れた旅館から逆算して歩く場所を決めたのに子供たちはさっさとキャンセル、旅館からはホントにいらっしゃいますかと確認の電話をもらう始末・・・
しばらくすると牛馬童子到着。ストックの長さもないくらいの小さ牛とウマにまたがった童子の石像と ヨコに八大龍王。
森の中の古道を抜けると 桜が咲く近露の村が見える。
ここの峠を箸折峠と言って昔 花山法王が食事する際、カヤの軸を折って箸にしカヤの軸の赤い部分に露が伝うのを見て「これは血か露か?」と尋ねたのが 近露(ちかつゆ)の地名の由来とか。
近露王子。
熊野古道とは、昔の人びとが熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)にお参りした道のことで熊野古道沿いには、九十九王子(九十九は実際の数ではなく、数の多いことを表したもの)と言われる程たくさんの王子社があり、参詣者は王子社を巡拝しなが ら長く険しい旅を続けたのです。王子社とは、熊野の神様の御子神(ミコガミ)が祀られているところであり、参詣者の休憩所でもありました(和歌山県田辺市観光協会より抜粋) ということだそうです。
古道もあちこちから巡っており、今日歩いてるのは田辺市からの中辺路(なかへち)という道。
道路沿いの民家の枝垂れ桜。
山の中の道が 生活道につながって舗装道路になり 又 山の中の古道になったりと 時代とともに道も発展
してるんだろうが 打ち捨てられた道が熊野古道か? そのまた下にはクルマの行き交いする県道?がある。
学校の脇に古道がある。それでなくても人がいない。
また 山の中に突入。
案内板がイタレリツクセリというほどあって、迷うシンパイはまったくないし
古道といっても山に登るほどのことはなく、雰囲気を楽しみながらテクテク。
アッツ!TVでみたやつだ。
日本ミツバチから蜜を採るための巣箱。
どこかのタレントがその蜜を舐めて、濃厚で甘~いと叫んでたな。
近寄ってみたが、今はまだ花の季節じゃない?ハチの姿は見えず。
こういうのを結構見かけて、熊野詣の思いを遂げられず道半ばで倒れた巡礼者の親元に、地元の人が名札を頼りに知らせ 縁者がやってきて立てたとも・・・
しきみの花だ。近寄ると年増女の強い香水のような匂いがして
近くで農作業してたジーさんに ”これは売るために栽培してるのか?”と聞いたら
「こんなイナカじゃ こういうのを売らんとゼニにならん」
葬式の時に飾り立てるが いろんな匂いを消すイミもあるんだろ。
熊野古道は世界遺産に登録されているからか? 案内表示が懇切丁寧。
ふるい看板をヨコメに見ながら、
欠けた石だけの比曽原王子跡を抜け、
満開の桜の下のハチの巣箱を見ながら
野中の清水!
ちょっと寄り道と レンゲの花咲く坂を下ると
昔の旅人も わざわざ降りてきて 清水を飲んだみたい。
みんなやることは同じだ。
右手下から出ているのをちょっと口に含んだが、上の池みたいなところに溜まってるのが流れ出てる?
確かに透明ではあったけどね~。
元の道まで戻り、
どれどれ?と ながめた先に、
まあまあ そう言われればなんとなく・・・
継桜王子。
名前から想像するに、昔 杉かヒノキに桜を継いだ木があったんだろ。
しかし この杉の木の太さはすげぇな。
オレのボウシと杖に比べても その太さがわかるってもんでしょ。
この狛犬は精緻に作られていて、比較的 時代は新しいか?
そうして この境内のある杉はみな 那智大社のある方角に枝を伸ばして野中の一方杉と呼ばれてるんだそうだ。まあ地形や日照の関係だろうけどな。
その先に「とがの木茶屋」という無料休憩所。オバサンが一人掃除をしていて コロナのせいで人が少ないですね~。
オレも上がりハナで休ませてもらって 出発点の道の駅で買ったコンニャクイナリをオバサンにおすそ分けし、大きいのは紀州名物のメハリ寿司。コンニャクイナリはピリカラでうまかった。
秀衝桜の朽ちた根元に咲くスミレ草。
クルマも人も なんにも通らない道に桜がトンネルを作り、
こんな看板を見かけ上に登ると、
民家の庭先に なにやらゆかしい石。
ちょっと座ってみたら、なんとお尻がピタリとはまって 座り心地がいいのなんのって・・・
子広王子の石碑は もう欠けて読めない。
森の中を歩いてるとそうでもないが、舗装道路を歩くのは結構足に来る。
舗装道路から古道に入ると空気がガラッと変わり、すっと疲れが抜ける。
石畳に映る影も伸びて、3時。
ゼッタイ乗らなくちゃいけないバスが4時12分。この先はもう 店も人家もなにもないと前に電話した観光案内所の人が言っていた。そのバスを逃せば野宿?
今日一番の急な登りを上がって 本日最終目的地の熊瀬川王子を踏み
古道と分かれて 下のバスが通る車道までテクテク。
この道は古道ではありません。それでいいんだ。
キブシの花など眺めながら バスには時間は十分ある。
お~、バス通りはあれか。
電光掲示が示すように気温は10度、陽が翳ってきて寒い。
まだバスまで40分もある。上にカッパを着込んで そうだ、明日の船の予約、ヒマだしこちらから電話してみるかと電話したが 「まだ他にはだれもいらっしゃいません。」
”わがまま言って申し訳ないけど、それじゃ3人分払うから、船出してくれない?”
「エッ?いいんですか?」
せっかくここまで来て、乗らないで帰るという手はないだろ。
ところでこの小広という地名、
たしか紀州はオオカミが日本でサイゴに目撃されたところじゃなかったか?
タヌキの子供をオオカミの子じゃないかと騒ぎになったのも そんなに昔じゃない。
それにしてもバス、来るんだろうな~。4月1日改定って昨日じゃないか。
まさかエイプリルフールってこたぁないだろな。
16時14分のバスをふるえながら待って、エビスさんの気持ちがよくわかる。
しかし日本のバスはエライ、時間通りにトンネルの向こうからやってきたバスには誰も乗っていず、まあそうだろうな。20分くらいで湯の峰温泉。バスなら20分だが歩いたらタイヘンなことになる。
旅館に行く前に お目当ての「つぼ湯」
川の中の小さな小屋の中にある 日本最古の湯と言われる この湯は 歌舞伎でも有名だが毒殺された小栗判官が閻魔大王の計らいで餓鬼の姿でこの世に戻されこの地に辿りつき つぼ湯に入るうちに奇跡が起こり49日目に元の姿にもどったという よみがえり伝説の湯!
共同浴場の窓口で札をもらい、オレは4番。
一人30分の制限時間だけど 早めに出る人もいるから 上で待ち構えてろと言われたが
3番がいるから まだダイジョブだろと
古道の一つ 赤城越えをちょっと登って 不動の滝まで足を伸ばして帰ってきたら ピッタシかんかん。
お湯の底に小石が見える。
下から熱っつい湯が沸きあがていて、
水でじゃんじゃん薄めて あ~~いい湯だ。
なんたってよみがえりの湯だからな。
熊野古道ビールに熊野牛のしゃぶしゃぶ、明日のバスは8時9分発・・・
②に続く・・・