
富田林署の留置場から遁走したアイツが捕まって、
一緒にいた奴が記者会見してたけど、オマエも盗んだ自転車だったんかい!
オレも大学一年の夏、広島出身の赤沢というのと二人で京都からサイクリングの旅に出たな~。
米と飯ごうと缶詰を入れたでかいバッグを荷台にくくりつけ、イザと出発したものの
初日どこかの長い橋を渡ってる途中から降ってきて、お尻は痛い 赤沢は帰ろうよ、と言うわで
ちょっと途方に暮れかかったな。
翌日、晴れればサドルに摺れたお尻の痛みにも慣れ、鼻歌まじりで山陽道を西へ・・・
関西の学校は西日本方面から来てるのが多く、夏休みで帰省してるそいつらの実家を泊まり歩き
空白区は駅やお寺で野宿。
このごろと違って、道の駅なんてしゃれたものはなかった。
しかし今になって思えば、入学したての一年の夏に行くからと頼まれれば、断るわけにはい
かないもんな。
来られる方にしてみりゃ、ずいぶんとメイワクなハナシだった?
野宿のヤブ蚊には往生したが、もっと困ったのはパンク。
中古のサイクリング用の細いタイヤだったため、道路と歩道の境目のちょっとした段差にナナメに乗ると
重い荷物のせいで、すぐにパンク。
道路わきの民家で水をもらいながらのパンク修理は、時間をロスし タイヘンだった。
加古川の友達には姫路城を案内してもらい、赤沢の地元じゃ福山城、
あの逃走犯も行ったという原爆ドームに錦帯橋。
昔から、あそこを通るやつの定番スポットなんだな。
錦帯橋の下の河原で、チョット昼寝とヨコになったら疲れからか二人して三時間も寝込んでしまい、
予定が大狂い。
そのあと、関門トンネルを自転車でくぐり、九州一周して四国に渡り
川で水浴びしたり、真夜中の地元の人のウナギ釣りに参加したりと楽しかった思い出ばかりだけど、
あいつもきっと、自転車で方々を巡る楽しさがわかり 自分が逃走犯なんてこと 忘れてたんじゃないか?
だから、旅が突然途切れたヤツの心中を思うとき、なにも伝わってはこないけど
あの格好を見れば、いっぱしのサイクリング野郎だったし、さぞやザンネンだったろうと・・・
これから九州をまわるつもりだったのか、山陰のほうからグルリと東を目指すつもりだったか、
ヤツが犯した罪はツミとして なんか無念さがわかるな~というのは、言っちゃいけん?
なんだ?この番号、どこぞのインチキ通販の電話番号みたいじゃないか!
ハロウインジャンボ、持って来ました という宝クジの番号を見たら100100。
「わかりませんよ、なにが起きるかわからない世の中ですからね」
それもそうだ、デカイのが来たら また山でラーメン食わしてやるよ