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去年の夏休み、宝剣によじ登ったときに見た 端正な姿をした三角形の山↑、

当時は何も知らずに、空木岳か~?と書いてハジをかき

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今年のゴールデン・ウイークに レンタルのアイゼンを履き、極楽平まで登って向こう側に眺めた同じ山を、

三ノ沢岳(標高2847m)といい、中央アルプスの主稜線からひとり離れ、孤高を保っていて秘境とも言われる?

もう、今年の夏休みはココ行くしかないだろと いつものように3時起きしてぶっ飛んで行こうと思ったが


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まてよ、アレは二年前の 夏休み、

高山の帰りに、ちょっと千畳敷のお花畑でも見るかと(渋滞を避け、いつも朝早くに帰る)

朝6時頃、登山バスの停留所まで行ったら ものすごい行列、あきらめて帰ったことがあった。



こりゃ前日入りして地元に泊まったほうが良さそうと、あちこちホテルを探しても お盆の時期ですし・・・

やっと3軒目に、ダブルの部屋ならお取りできます・・・

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なんでもいいよ、旅は出会いだ。山と出会い 花や蝶や鳥と出会い、

いろんな偶然の出会いがあるから楽しいんだ。もしかしたらダブルベッドで正解ってことも・・・あるワケない?


東名のコミコミを横目に厚木から縦貫道に入ったはいいが、八王子の合流地点ではこちらも渋滞真っ盛り。

マア、覚悟してれば、気になるもんじゃない。昼過ぎにゃあちらにつくだろ。今日はどこまわるかな?

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クルマがスムーズに流れ出した頃 前方に八ヶ岳が見え、初盆に帰る人もいるかな?


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半日あれば、中仙道のほうまでまわれるか?

伊那谷で生まれているのに、山を隔てた向こう側の中仙道木曽路には行ったことがない。

いい機会だと、諏訪湖SAのインフォメーションのオネーサンに ここからどうやって行けばいいのか尋ねると

塩尻廻りか、伊那で降りて権兵衛トンネルを抜ける・・・

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権兵衛峠とは、子供の頃から耳にしてる名前、数十年前にも木曽路を尋ねようと思ったが

峠はクルマが通行不可ということで断念したことがあった。

トンネルができたのか~、時代は進んでるんだね。

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トンネルを抜けて、あっという間に念願の木曽路、先ずは奈良井宿。


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お~、いつか写真でみたような街並み、とりあえずハラこしらえとソバ屋に飛び込み、


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「投じソバ」

前に、ふるさとのソバ屋で食べたときに聞いた話じゃ、ソバを投げいれて、つまり投じて食べるからとか

丁度冬至のころに食べるからとも聞いたが、暑い日に食べるのも一興。

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竹で編んだ柄杓みたいなのにソバを入れ、たくさんの具が入った鍋で10秒ほど湯がいて食べる

まあ、言ってみればそばのシャブシャブだな。


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丁度ソバを食べ終わったころ 外でピ~ヒャラ笛と太鼓の音がしてお祭り?

あわてて飛び出ると山車が目の前を通って行き、観光客向けというのじゃなく

地元のもともとの祭礼が今日?こういう偶然の出会いがあるから 旅ってのは楽しいんだな。



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山車のあとを追って、宿場のドン突きにある神社まで行くと、狭いわきの坂道を総出で押して

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境内には屋台が軒を連ね、なんとも懐かしい風景。



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子供の頃の自分を見てるみたい・・・


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山車が鳥居の前に到着し、向きを本殿前に変えて


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獅子舞の奉納。



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祭りを切り上げて街に戻ると、なるほどお祭りの提灯が飾ってあり


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中仙道 奈良井宿 鍵手?鍵手ってなんだ?

それより、そっちの道祖神は・・・

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「道中安全」と刻まれたこの道祖神、写真で見たことあるな~。

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こっちが鍵手、これがある場所が鍵のように曲がっていて 宿場といえども戦争状態になったときに

いっきに攻め込まれないための知恵?そういう場所に、水場を組み合わせているらしい。


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大きな宿屋の軒先も祭礼仕様。


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コレも、昔見たような光景だな。


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奈良井宿をあとに木曽路を南下していると「木曽義仲資料館」の看板を発見。

こんな時しか行けないだろと、わき道に入り・・・


信州人ならだれでも歌える県の歌「信濃の国」

その5番に  ♪旭将軍義仲も~ と、詠われてる 長野県じゃヒーロー。

なんたって短かったとはいえ、一度は天下を獲り 征夷大将軍になったんだからな。


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建物入り口に、義仲とナギナタを持った巴御前の像。

巴御前は、相当な女武者だったと評判の女性。



館長らしき人に、県外じゃ義仲は悪者扱いされてるがと聞くと

もともとは京都の院御所の法住寺という寺を襲撃して焼いたからだと言うが

近頃は、大河ドラマなどで良く描かれてない影響もありますよ?



木曽の山の中から出兵し征夷大将軍にまでなったが、後白河法皇の策略によって鎌倉軍に破れ

近江の粟津ヶ原(あわずがはら)で討ち死、31歳の短い生涯だったが平家を倒した革命児ですよと

館長さんはベタ褒め。




しかし、権兵衛トンネルが出来て便利になりましたねと、ハナシ変えると

「田中さんのお陰ですよ」

えっ、角栄?

「違いますよ。前の県知事の田中康夫さんが作ってくれたんです」

木曽じゃ今でも田中康夫は 義仲と並ぶ革命児扱い?なんクリもやるもんだ。

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義仲館の帰路、「巴淵」の看板を見つけて途中下車、というか停車。

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木曽川に巴状に渦を巻く淵で、ここに住む龍神が化身して巴御前になったという伝説があると

もらったパンフレットには書かれていたが、覗き込むと池のようで

いにしえのできごとを奥深く留めて、今は静かに 流れも見えない。

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さらに南下中、変った橋を発見、車を停めてパチリ「桃介橋」というらしい。


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中山道を結構走って妻籠宿。

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ここもオモムキのある宿場町だ。

そもそも昭和40年代に街並みの保存を全てに優先させる「売らない、貸さない、壊さない」という

三原則を決め、街並み保存の原点となったところだという。

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この本陣は、「木曽路はすべて山の中」の、島崎藤村の母の生家だという。

最後の当主は藤村の実兄で、馬籠から伯父のところに養子にきたのだそうだ。



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ここも、さきほどの鍵手と同じく この手前で曲がった道になっており 敵の侵入を防ぐ造りだそうだ。


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宿場町というだけあって、ほとんどが宿屋さん。


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え~、81かける4して、あとはどう計算するんだ?



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宿屋の軒先には、それぞれ花が飾ってあり、


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昔の旅人も、気にいった花を飾ってあるところに宿をとったんだろうか。


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ココは、商売替えした?


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役人は、いつもエラそうだな。


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妻籠から、今度は二年前?に通った大平峠を越えて伊那谷までカムバック、

頂上付近にある雪シェードのトンネルを抜けて記念撮影。

前からもウシロからも、ほとんどクルマが通らない旧街道。


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1時間ですれ違ったのは、サイクリングの自転車が1台とクルマ2台。


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古そうな石碑を右手に見て市街地に入れば

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夕焼け。

明日の山登りは、きっと良い天気になるだろうと思ったのに・・・