月例の碁会の朝、いつもの喫茶店でモーニングコーヒーを飲んでると

元串揚げ屋がヘンなサングラスをかけてやってきて

「よしなさいよ、ソレ。どこぞの会長じゃないんだから」

「太陽がまぶしすぎるんだよ・・・」




「確かに暑いね~。まあこういう年は、案外盆が明けりゃイッキに秋がくるよ。」

いっぱしのこと言いやがって、世の中、変ってるんだぞ、今までの経験なんかクソの役にも立たねェよ。



喫茶店のすぐヨコのビルの部屋に入れば、「なんだよ、ミネラルウオーターが用意してないな」

フザケンナ、いつまできどってるんだ。

カンロ飴は? ねェよ。




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みんな年寄りのくせに冷房をガンガン効かせるから、調子が狂い

↑一目差負け とかあって、2勝6敗。

奈良判定ならオレの勝ちだったな。「碁に判定勝ちがあるか!」

まだみんな熱戦の最中に、こんな寒い部屋、早くおさらばするから 東京国立博物館の行き方教えて?


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この歳になって、初めての東博行き。

そこでやってる「縄文展」の、わけても平成に入ってから 国宝に指定されたと最近TVで見たばかりの

”縄文のビーナス”がお目当て。



幹事長に、判じ物のような国立博物館までの地図を描いてもらい、


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上野駅で途中下車 トコトコ行けば、お~、コレは火焔型土器だな。

言っちゃナンだが、昔からこういうのには興味があり

地方の地元で出土した土器など飾ってるところには、チョイチョイ立ち寄りしている。


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夕方4時近くだというのに、たくさんの見物客でごった返し、ここが国立博物館か~。


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奥の平成館が展覧会場。

入り口に大きなポスターがあって、矢印が「縄文のビーナス」

中は当然撮影禁止。


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それをかいくぐって、火焔型土器をパチリ。

じゃ、ありません。これは入り口においてあった 触れる模造品。



今から1万年以上前から3000年前くらいまでの縄文時代、まだ大陸と陸続きだったころに

日本に渡ってきた人達と、その後の朝鮮半島経由で来た渡来人との混血が今の日本人と言われるが

あまり混血が進まなかった地方には縄文のDNAを多く持った人々、

例えば青森出身の太宰治、寺山修司、吉幾三といった大男たちはマチガイなく縄文人の末裔だと思ってる。



文化もまた遠くペルシャのほうから伝わって来て、形を替えながらそれぞれの地域に根を下ろすが

日本まで来ると その先行くところがなく、 書もお花も舞いも武術もすべて煮詰まってなんとか道に昇華する。

その後の邪馬台国についちゃ、最近のオキナワ説を始め いくらでもノーガキを言いたくなるが

それはおいといて、今日見た土偶、土器・・・



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今までアタマの中にあった、荒々しい大雑把な、というイメージとは全く違う

精緻で丁寧な作りの土器や土偶の数々にビックリ。,


これまでアチコチで見た生活臭あふれる土器と違い、美術品、芸術品と言っていいような・・・

まあ一万年もの長いあいだにゃ、いろんなのがあるのはアタリマエか?



教科書でしか見たことがなかった 宇宙人のような「遮光器土偶」や ビーナスのほかに

「縄文の女神」や「仮面の女神」といった土偶もあって、一度は見ておいてソンはない、

ま、早く碁に負けて正解だったな。