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ハナちゃんの誕生日に、本人のリクエストでメロンパンナちゃんケーキ。

3歳おめでとう。

メロメロパンチってなに?

バイキンマンやっつけるときに使うの・・・




昨日もゴルフやってヘロヘロだし、週末は山だな。

どこ行こうかと、いろいろ迷ってたが天下茶屋のある御坂峠って河口湖のほうからも行けるの?

てっきり甲府のほうから上がるのかと思ってて、先入観というのは怖い。

行きたいけど、甲府廻りじゃ遠いと敬遠してたが・・・



御坂峠にあるという天下茶屋、その二階は太宰治が井伏鱒二に勧められて3ヶ月も逗留し、

ココロの平穏を取り戻した、彼の波乱万丈なメチャクチャな人生で

それに続く甲府時代と合わせて、唯一シアワセな時間を過ごした場所だ。




彼の父は青森で多額納税の貴族院議員をするなど、大地主の生家の出だが

青森の芸妓 初代と駆け落ち同然、分家除籍を条件に結婚を許され、

そのあいだにも、銀座のバーの女給と鎌倉七里ガ浜の海に入り、女だけを死なせて自分は生き残り

また、急性盲腸炎の痛み止めに打ったパピナール(麻薬性鎮痛剤)が次第に習慣化し

中毒治療の入退院を繰り返しながらも作品を発表するが売れず、しかも入院中の初代の過失、

デカダン、性格破綻者だといわれ無為の日々を過ごしていた29歳の夏、

井伏の紹介で辿りついたのが、御坂峠の天下茶屋だった。



三ヶ月の滞在ののち 甲府で、これも井伏の世話で2度目の結婚、市内の小さな家で

新婚生活を送りながら書いたのが「富嶽百景」。



裾のひろがつてゐる割に、低い。あれくらゐの裾を持つてゐる山ならば、少くとも、もう一・五倍、高くなければいけない。


東京の、アパートの窓から見る富士は、くるしい。冬には、はつきり、よく見える。小さい、真白い三角が、地平線にちよこんと出てゐて、それが富士だ。なんのことはない、クリスマスの飾り菓子である。


太宰の面目躍如の言い回しだな、挙句の果てに 初めて御坂峠を登り 茶屋から富士を見たときには


これは、まるで、風呂屋のペンキ画だ。芝居の書割だ。どうにも註文どほりの景色で、私は、恥づかしくてならなかつた。





なんだかんだいちゃもんをつけてたが、


茶屋に来て一ヶ月くらいたった十月のある朝、茶店の15歳の娘に起こされる。

「お客さん! 起きて見よ!」かん高い声で或る朝、茶店の外で、娘さんが絶叫したので、私は、しぶしぶ起きて、廊下へ出て見た。


富士山に雪が降り、山頂が光り輝いていた。かねがね、こんな富士は俗でダメだと言っていた太宰に

茶屋の娘は、「御坂の富士は、これでも、だめ?」としやがんで言つた。


その後 太宰はどてら姿で山に行き、月見草のタネを両の手にいっぱい取って茶店の背戸に播き、

「いいかい、これは僕の月見草だからね、来年また来て見るのだからね、ここへお洗濯の水なんか捨てちやいけないよ。」


太宰がことさらに月見草を選んだのにはワケがあった。

山の中の一軒家の茶店に郵便物は配達されない。バスに揺られて下の街まで郵便物を取りに行った帰り、

女車掌の「今日は富士山がよく見えます」という説明に 乗客が一斉に富士山のほうを向くなか、一人の老婆は

胸に深い 憂悶いうもん でもあるのか、他の遊覧客とちがつて、富士には 一瞥いちべつ も与へず、かへつて富士と反対側の、山路に沿つた断崖をじつと見つめて・・・


老婆が見つめ 指差した先には月見草。


 三七七八米の富士の山と、立派に 相対峙あひたいぢ し、みぢんもゆるがず、なんと言ふのか、金剛力草とでも言ひたいくらゐ、けなげにすつくと立つてゐたあの月見草は、よかつた。富士には、月見草がよく似合ふ。



二度目の結婚の話も、実家からはゼンゼン助力がないということがはっきりし

断られてもしかたがないと単身峠を降り、甲府の彼女の実家に行けば 

おうちが反対なのかと聞かれ、そうじゃなくておまえ一人でやれということだと答えると
「結構でございます。」母堂は、品よく笑ひながら、「私たちも、ごらんのとほりお金持ではございませぬし、ことごとしい式などは、かへつて当惑するやうなもので、ただ、あなたおひとり、愛情と、職業に対する熱意さへ、お持ちならば、それで私たち、結構でございます。」


太宰の気持ちが、次第になごんでゆく様子が手にとるようにわかる。

しかし、太宰はコレを書いた9年後39歳の時、また別の女と玉川上水に身を投げたのだ。



天下茶屋をちょっと行った先に「富士には月見草がよく似合う」という石碑があるそうだ。

どてら姿に登山靴という姿を笑われながら、太宰が井伏鱒二と登った三つ峠山にオレも行ってみよう。