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カーラジオで、普段は聞かない大相撲中継を久しぶりに聞いたが、

取り組み後、力士たちが あんなに能弁に語るようになったのは何時頃から?

昔はアナウンサーが聞いても、ハ~ハ~ゼイゼイ、ウンとかスンしか言わなかった。




子供の頃の吉葉山、千代の山、鏡里、栃錦の四横綱の時代から ず~~と見続け

学生時代は例によって、好きな相撲取りを10人選びそれぞれに1点から10点まで点数をつけ

勝てばその点数が入り、15日間の合計点の多いやつが 賞金をかっさらってゆくというトトカルチョ。

もう50年も前の話だから時効でいいだろうが、確か一人500円投資、勝てば七、八千円になった。



役力士は除き、前頭の相撲取りしか点数を付けることができず、当然前頭上位は強いのに当たるから

勝ち星は伸びないが、ちゃんと横綱に勝てば10点、大関に勝てば5点のボーナスがプラスされる仕組み。

相撲が始まれば、もう下宿の一部屋に集まってわ~わ~きゃ~きゃ~大騒ぎ。

アノ頃の良く点数上位に持ってきたのが三重の海だったな。

一日が終わると、書記係りがみんなのその日の合計点をつけて楽しんだものだった。


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ラジオを聞いてると、かっての麒麟児 今の北陣親方がインタビューされて 

今場所で親方も定年になるという。

二所の関部屋の、気風の良い好きな力士だった。


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「今思うと、あっという間でした。走馬灯のようにいろいろなこと思い出されるが・・・」

一番の思い出は新弟子のとき、部屋の神様みたいな存在の大鵬のお茶椀を

洗剤をつけて一生懸命ごしごし洗ってたら、つい手を滑らして割ってしまったと。



ああ、オレの相撲人生も終わったなと大鵬のところに謝りに行ったら

「怪我はなかったか?」 と言われ

「オレの茶碗を割ってケガでもされたら、お前の両親になんといって謝ればいいのか・・・」

もう涙ポロリでした、とインタビューに答えていた。




思えば相撲を熱心に見なくなったのは、外国人力士達が土俵を席捲しだした頃からかナ。

大鵬のマゴが初土俵で圧勝したというし、10点をつけれるような国産力士が沢山出てきて欲しいと、

もっと言えば、品格とバツグンの力量を持った国産の横綱がでてくりゃ

オレだってもっとチカラ入れて見るんだけどなぁ。