前に何回か登場してるから、覚えてる人もいると思うけど
とびきりヘボの竹さんを10分でやっつけて、
別室で昼食のオニギリを食べながら四方山話。
「90過ぎて、目も耳もダイジョウブなんでしょ?何か悪いのやってんじゃない?」
20年くらい前は毎晩飲んだくれて、仲間ウチでは一番最初に往くだろうと太鼓判を押されてたが
すでに何人も見送って、今はお酒もダメですっかり品行方正のマジメな竹さん。
「私はね、努力というものをしたことがないんですよ。
戦争から生きて帰れたんで、あとはオマケみたいなもんと思ってるのがいいんでしょ」
「そうだね~、碁の本の一冊でも読んでりゃ、も少しうまくなるよな~」
それには反論しないで、それでも少しはガンバッタのはと話してくれたのは
飲んでた頃の下ネタとは全然違う、初めて聞く話・・・
戦後すぐに、小さな出版社を始め、作家のところに原稿依頼にまわった。
川端康成はナマイキで、横光利一は
「君達、若い人は可愛そうだ。これからアメリカにいいようにやられる」
と涙を流したそうだ。吉川英治は真面目で、日本人という小説を書くんだと構想まで話してくれた。
武者小路実篤は、原稿用紙一枚十円にしかならない。ジャガイモ作って売った方がもうかると
庭を耕し、その後はもっぱら色紙を一枚二百円で書いて暮らしてたそうだ。
傑作なのは放浪記の林芙美子。何度訪ねても女中さんが出てきて
「先生はお出かけしています」と言うんだ。
5回目だったか、またその女中が出てきて
「私が芙美子です」って・・・
あっけにとられちゃってね、冗談は顔だけにしといてとは言わなかったが
いろんな人が訪ねてくるからって言ってたな。
林芙美子には放浪記のダイジェスト版を書いてもらったよ。
ついでだから、下ネタがらみの昔、聞いた話も。
水上勉がちょっと名が出始めた頃、竹さんの家に下宿させてたんだそうだ。
雨が降ってくると近くの駅で傘を差しながら、若い娘を入っていきませんかと誘って**。
そのうち、水上勉が・・・という悪い評判が立ってくると、
”二人の水上勉”という、あたかももう一人ニセモノの水上勉がいるという記事を週刊誌に書いたそうだ
「とんでもない奴だよ、あいつは」マジメな竹さんが言うんだからマチガイないんだろう。
まあ、小説とは別人格の生身の話は、下世話でおもしろい。
来月の例会は丹沢の温泉でやる。竹さんがくたばる前にいろいろ聞いておこう。