たまには、仕事の話をしよう。

オレもゴルフの合い間に仕事をしてるんじゃない、というところをみせないと・・・



ウチは、マイコンを搭載した電子機器を製造してる小さな会社だが

去年の今頃、某a社からウチの製品の一つがa社の持つ特許を侵害している、

ついては見解を示せという文書が配達証明で送られてきた。


a社とは、ちょいと因縁のある間柄であり、

ウチのその製品は開発製造しだしてからすでに10年以上経ち、かなりの数がでていた。


送られてきた文書によれば、a社の特許は平成5年の6月に最初に申請され

平成16年の7月に認可登録されていた。

しかも、よくよく調べるとどうもウチの製品はその特許に抵触しているようだ。


厄介なことになったなと思いながら、やりとりを繰り返しているうちに

相手はこちらの足元を見たのか、大手法律事務所の弁護士名で

製品の製造販売の中止、在庫の廃棄、及び今までの損害賠償を求めてきた。


こりゃ、ハラをくくるしかないか、損害賠償だってどうせ相手は大きなことを言ってくるだろうから

最終的には裁判かと、重い気持ちで知り合いの弁護士に相談に行ったのが7月。


「なんで今頃言ってくるんですかね?」

「ある程度数がでてから言うほうが、損害賠償もたくさんとれるからですよ、タチが悪い。」

いきさつを、いろいろ説明しながら

「ウチが開発した頃はある程度、周知の事実だったんですけどね」

というと同席してた弁理士が「a社が特許申請した平成5年頃はそういうものはなかったんですか?」

と聞いてきた。


「いや~、もうあの頃からあったはずですよ」と答えると

それが証明できれば、相手の特許そのものをつぶすことができると言う。

そんなことができるのか?と聞けば、特許無効審判というのを特許庁に申し立て

正当な理由なり証拠が認められれば、特許が取り消されるそうだ。


それに賭けるしかないか。

相手側には「無効審判」を申し立てる旨を通知して雑音をシャットアウト。

熱い8月の一週間、連日国会図書館に通い詰めて資料探しをした。


平成5年6月以前に発行された業界新聞や雑誌を机に積んで

片っ端からページをめくり、有力と思われる資料(製品の広告や記者のインタビュー記事まで)

を集めて弁理士に委ね、分厚い特許無効審判請求書を特許庁に送ってもらった。


昔は3~4年かかったが、今は半年後くらいに審判が開かれますからと説明され

その間にも、特許庁を介して相手側からの答弁書、

またそれに対する弁駁書をやりとりするうち年が明け、今年の3月

いよいよ、虎ノ門の特許庁で口頭審判の日が来た。


正面に特許庁の審議官が3人並び、こちら側はオレと弁理士の二人。

ところが向こうは8人の弁護士と弁理士が、ズラズラと2列になってこちらをにらんでる。

なんだこのヤロー、ガンつけてんのかと一人一人にらみかえしたが

a社の社長は病気を理由に欠席。ホントか?


結構激しい質疑応答、やりとりがあって2時間半くらいで閉廷。

コーヒーを飲みながら「どうですかね~、勝算は?」

「う~ん、なんとも言えませんね。証拠も決定的とはいえないし、どこまで審議官がこちらの言い分を認

めてくれるかだけど、まあ、五分五分ですか、やることやりましたからあとは審決を待ちましょう」

それが今日、以下のような結果が送られてきた。


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勝った!



特許は無効となり消滅、賠償金も払わないで済み、なにより裁判のわずらわしさがなくなったのが

重しがとれたようでうれしいんだが、なぜか五月の空のような気分にはなれない。


相手側は、特許を錦の御旗にいいがかりをつけてきたが払った代償は大きく

こっちも降りかかった火の粉は振り払ったが、一年間グチャグチャやって残ったのはムナシサだけ。

また熱い夏が来るが、去年、国会図書館の駐車場の木陰には涼しい風が吹いていたナァ。