これはもう、時雨(しぐれ)と言うのかと思い調べると
時雨とは秋から初冬にかけて降ったりやんだりする雨のことをいうとあって、
まだ、シグレと呼ぶには少し早そうだが、れっきとした気象用語だそうな。
しかし、この「しぐれ」という語感、字感が詩人の魂を揺さぶるのだろう。
「うしろすがたの しぐれてゆくか」
漂泊の詩人、種田山頭火には、時雨が良く似合う。
「初時雨 猿も小蓑を 欲しげなり」
芭蕉は奥の細道の旅を終えて帰郷の折、伊賀越えの山中で初時雨に遭遇した。
自分は早速、蓑を腰に巻いたが、
寒さの中で樹上の猿たちも小蓑を欲しそうな身振りに見えることよ、という意味だ。
「旅に病んで 夢は枯野を かけめぐる」
この有名な一句を残して、芭蕉が生涯を閉じたのは旧暦の10月、時雨の時季にあたり、その忌日は「時雨忌」と呼ばれ、今も多くの俳人たちに偲ばれているそうだ。
昔、京都の比叡山の麓に住んでいた頃、秋の終わりの夕方になると、いつもパラパラと氷雨とも雪ともつかないものが降ってきて、あっ、降ってきたと思う間もなく止み、又陽が射す、というようなことが幾度となくあった。
これを「北山しぐれ」と言うのだと教えられたな。
写真は、私が京都で一番好きなお寺「円通寺」、比叡山を借景にしている。パンフレットより撮影。