僕は霊感とか、まったくなく、なんにも見えないし、なんにも感じないと思っている。
ある方は、いわゆる見える方に見てもらったとき、前世で京都の寺にいたことがあったと、言われたそうである。三島由紀夫の「豊饒の海(一)春の雪」を思い出すようなお話であった。

海外では生まれ変わりとしか考えられない例も実際にあるそうである。
ある親子が死別した後、まったくの赤の他人が、その親子しか知り得ない、互いの呼び方とか、思い出とかを、共有していたとかなんとか。テレビで紹介されたのを、何年も前に見た。不思議な話であった。

不思議といえば、サイボーグ技術について、夏秋さんから、去年聞いたのであるが、今は、脳と直接電極をつなげる義手とか義眼、儀耳などがあって、使う人が考えるだけで、自分の体と同じように操ることが出来るのだそうである。それについてのホームページを覗き、記事を読んでみたところ、不思議なのは、そんな不思議な光景を目の当たりにしていて、それに慣れたとき、もう、なんの不思議も感じなくなっていることだ、というふうに書かれていて、面白いと思った。

洋司