いつからか、ストレスという言葉をたくさん耳にするようになった。
ストレスという言葉はいつ誰が作ったのだろう?と気になって辿ってみた。
まとめてみると、以下の通り。
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ストレスとは、精神的・肉体的に負担となる刺激が加えられ、引き起こされる「生体機能の変化」。
ストレス(stress)は、「物体に圧力を加えることで生じる歪み」を意味する物理学の言葉であったが、1936年、カナダの生理学者ハンス・セリエ(H.Selye)が、ネイチャー誌に「ストレス学説」を発表したことから、多くは生理学的な意味で用いられるようになった。一般には、ストレスが溜まった状態を呼ぶことが多いが、外界の刺激に対する生体の反応全てを言い、発散・解消のために行って、精神的・肉体的に加えられた刺激に対する反応も「ストレス」と言う。「ニンゲン関係」「睡眠不足」など、ストレスを起こさせる刺激は「ストレッサー」と呼ばれる。
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らしい。
学説的なところを言うと、ストレス=生体の変化をさすようなので
<ストレス社会=ストレッサーにより生体の変化、影響をうけうる社会構造>
ということになる。
まあそれは置いといて(置くんかい)
ストレスを受けるの本質って何?ってとこが本筋。
シンプルにいうと
「なんかやなこと」
「なんかやなこと」って何?
「やりたくないこと、望まないこと」
「やりたくないこと、望まないことって何?」
「本能的にもつ、あるいは後天的に獲得した性質に合わないモノ」
だと考える。
例えば
「静かな場所が落ち着く」という本能に反して、
騒がしい場所にいると非常に落ち着かない。
それによってストレス状態となる(さっそく正しい使い方をこころみる)。
例えば
「整理整頓された空間が落ち着く」という本能に反して、
旦那や子供が散らかして片付けないとイライラする。
これもストレス状態。
人間は、社会性を主体とした生物であり
社会から、つまり他者と完全に切り離して生活することはなかなかに困難。
そして、社会が自分の本能に反することは基本的には避け難い。
社会性をもつ以上、ストレス状態になることは必然。
そのストレスとどう付き合っていくのかが
社会にいながら幸福に生きるカギになると感じる。
これを少しずつ因数分解していこうと思う。
続く。
