自分をどう生きる?決断は私の胸ひとつ(マジで胸1つですが・・・何か?)から7年、異時性両側乳癌で胸0に(笑) -3ページ目

自分をどう生きる?決断は私の胸ひとつ(マジで胸1つですが・・・何か?)から7年、異時性両側乳癌で胸0に(笑)

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なだぎ武「最後の連絡、、なんで出やんかったんや」母の日に母が大腸がんで亡くなったと報告

2023.05.15 10:29

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なだぎ武(08年7月)

なだぎ武(52)が15日までにインスタグラムを更新。「母の日 先日、母が亡くなりました。家族葬で、通夜も葬儀も終えました。母はステージ4の大腸癌でした」と実母が亡くなったことを報告し、幼少期に母に抱かれた写真を公開した。

なだぎは「大腸癌と言われてから、手術をいくつか経験し、抗がん剤治療を受け、癌とずっと戦っていました。そこから6年くらいになると思います…最後は腹水の症状が出、膨れ上がった体に苦しみ、疲れ、水も抜いてもらえないまま、静かに部屋で一人息を引き取っていました」と、母の闘病がおよそ6年に及んだと明かした。

母の死の当日についても、克明につづった。「その日昼過ぎにメールをし、その数時間後、電話が掛かってきたけど映画を観るために着席していたのもあり、予告も始まっていたので、気づいてはいたが改めて観終わってから折り返えそうと、着信を切ってしまった。映画を観終わり、帰宅して改めて連絡するが繋がらず、弟にLINEをするも既読にならず。」と、母が亡くなった当日にLINEをし、数時間後に折り返し電話がかかってきたものの、映画を見ていて出なかったと振り返った。その上で「そのちょっとしてから父から電話。『おかんが逝ってもうたわ…』『え!?』意味がわからなかった、、、『え?なんで!?さっき電話くれてたのに、、え??、、あれが…もしかして最後の連絡になったの!?なんで、、なんで出やんかったんや、、』一気に後悔と悔しさが押し寄せ、動揺が止まらなくなった」と悲痛な思いをつづった。

実家に戻った際のもようと、心中もつづった。「『とにかく今から帰る!、、』と、父に伝えて急いで家を出た。信号待ちをしていたタクシーに走って乗り込み東京駅へ。その間動悸は止まらず、電話に出なかった後悔と悔しさで涙が溢れ出てきた…新幹線の車内では呆然と、ただただ後悔の気持ちでどうしようもなく涙が出続けた」と、実家へ戻る間、泣き続けたと明かした。「実家へ着き、母の顔を2ヶ月ぶりくらいに見た。顔や身体に黄疸が現れてて真っ黄色くなってた、、腹水で足は膨れ上がってて、膝も曲げれず移動も寝返りもままならない状態。『この体でよく今まで頑張ったな、、しんどかったな…辛かったな…眠る事も出来んかったやろ、、結局ろくな親孝行も出来ずにごめんなさい、、』」と、亡くなった母と対面した時の様子、心情をつづった。

母の闘病生活についても説明。「母はこれまでに抗がん剤治療での副作用で、髪が抜けたり顔が浮腫んだり、時には口の中が口内炎だらけで真っ赤っ赤になる事もあった。手術を何回か繰り返しては抗がん剤治療。若く無い体で辛かったし苦しかった日々の連続やったと思います」

その中、20年9月に女優の渡邊安理(38)と結婚し、2年8月に第1子が誕生したことを踏まえ「そんな中、結婚の事や孫の誕生を伝えた時は泣いて喜んでくれた。たった一度だけしか叶わなかったですが、少しの時間、孫の顔を直接の見せてあげれた事は、良かったと思える出来事の一つでした」とつづった。一方で「それと10年くらい前に書いた『サナギ』という私の自伝本。この本を読んでくれた人から、よく『この本を読んだら、なだぎさんのお母さんに会いたくなる…』と言われた事が、息子として物凄く嬉しかった。今思えばLINEでビデオ通話して孫の顔をもっと見せてあげる事が出来たな…とか、もっと実家に帰ってあげる事が出来たな…とか、後々になって気づく事だらけで、自分が嫌になります、、まだまだ孫の成長を見てほしかった矢先…」と、実家になかなか帰ることが出来なかったことへの、悔恨の念をにじませた。

なだぎは「それまでカテーテル治療の為、遠い病院まで通ってたんですが、もう70後半の体にはその距離はきつかったと思います。そんな中で更に腹水の症状。もう肝臓の機能がほとんどなくなり、黄疸の症状も出始める。もう末期で余命幾許も無いと分かってるなら、家族として、腹水を抜いて少しでも楽な身体にしてあげたかった…それって叶わない事やったんやろか…と今だに思ったりもします」と、母の腹水を抜けなかったことへの疑問も呈した。一方で「でも母の最後の顔は、今にも起きてきそうな、それは寝顔のように安らかな顔でした。これでやっとゆっくり、ぐっすり寝れる事ができるのかな…と。出来る事ならば、実家でゆっくりと孫の顔をまた見せてあげたかった。こんなただの個人的な事も書いていいのかな…なんて事も思いましたけど、母へのこの想いを残しておこうと、書くことにしました。」ともつづった。

最後に「今現在病気や治療で苦しんでる方のお知り合いや親族、ご家族の方、大変な事も多いと思いますが、常に寄り添っていてあげてください。側に居てくれる存在や言葉だけでも大きなエネルギーになると思います。明日、何時間先、何分先、何がどうなるかわかりません…後悔は取り戻せない…自分が今まさにそうな様に。後々自分の心に落とし込めるよう、後悔と思わない瞬間瞬間を行動や言葉、態度で示してあげて下さい」と、身内や親しい人が闘病中の場合は、寄り添って欲しいと訴えた。そして「母の日に…おかん…痛みや腹水や癌の辛さも何もない天国で、笑っていてくれると嬉しいです。産んでくれてありがとうね…」と母への感謝の思いで締めた。