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”釈迦の無慈悲”が描かれている短編小説である。
この解釈はほぼ他では語られない解釈だと自負している。
しかし、筆者が無教会主義の基督教徒だからという理由で、このような解釈をするわけではないことを念頭に置いて読んでいただきたい。
クドクドと書くつもりはない。
地獄に落ちた犍陀多(かんだた)が救いを求める。
自分は地獄に落ちているけれど、正しい者だからと。
釈迦はそれを”認めたかの”ように、蜘蛛の糸を1本垂らす。
切れるのをわかっていながら。
案の定その蜘蛛の糸には犍陀多(かんだた)に続いて、多くの罪人(つみびと)が連なって登ってくる。
想定通り蜘蛛の糸は切れ、全員が地獄へ落ち戻る。
釈迦は何事もなかったかのように、蓮の池の周りを散歩する。
何事でもないのである、釈迦にとっては・・・
ここで芥川が言いたかったのは「”自分はこんな場所にいる人間ではない”というのは思い違いで”その場所にいる限り、外から見たらその場所の人間にしかすぎない”」ということなのであろう。それこそが”人間の自覚のない罪”なのである。基督教で言えば原罪であろう。
青空文庫でもAmazonKindleでも無料で読めるので、再読をお勧めしたい。
これが以前の記事にも書いた記憶がある、”芥川龍之介はニヒリスト(悲観論者)ではなくリアリスト(現実主義者)である”という、筆者の持論のもとでもある。
とある上級スタジオミュージシャンが駆け出しのミュージシャンと会話をしていた。
駆け出しのミュージシャンは「オレは日本に埋もれるようなレベルにはいない」と言い張っているのに対して、上級スタジオミュージシャンは「そしたらどうして今現在君は日本にいるんだい?飛行機代だけ持ってLAやNYに行かないんだい?僕はそうしたけど?」そう、その上級スタジオミュージシャンは、世界で名だたるミュージシャンのユニットのメンバーにも抜擢を要請されながら断った人物であった。
イエローサブマリン=ビートルズ象徴論
黄色い潜水艦から潜望鏡が4本出ている
それぞれが別の方向を見て、別の高さで外界を観測してる。
つまり
・同じ船に乗っている
・同じ水圧を受けている
・でも見ている世界は違う
これ、4人のビートルズのメンバーそのものではないだろうか。
しかも潜望鏡とは、船体そのものではない。
外に出られるのは“目”だけ。
主張も行動も、全部“艦”を通してしか成立しない。
そして、その艦がジョージ・マーティン。
・前に出ない
・歌わない/演奏しない
・しかし設計(演出)し、浮力(いや沈力)を計算し、全体を保つ
彼がいなければ、4本の潜望鏡はただの鉄の棒でしかなかったか・・・
つまりこの構図
潜水艦=構造・編集・知性(ジョージ・マーティン)
潜望鏡=個性・視点・衝動(4人)
であると解釈できる。
なのでビートルズは「誰が欠けても成立しない」けれど、同時に「誰かが全部を背負っても成立しない」。
沈んでいるからこそ、嵐も、流行も、世間の騒音も、一定以上は遮断できる。
それがあの異常な持続力を生んだ。
ビートルズの4人が潜水艦に乗らされていた論
潜水艦とは
・自分で勝手に浮上できない
・内部の判断だけでは進路が決まらない
・外に出るには“限定された装置”が必要
完全に管理された環境になっている。
そして、潜望鏡。
潜望鏡が意味すること
・外に出られない
・でも外は見える
・見えるだけで、触れない
つまり脱出願望の視覚化。
ジョンは別の思想を見て、ポールはポップの外を見て、ジョージは精神世界を見て、リンゴは「ここじゃないどこか」をぼんやり見ていた。
でも全員、艦内にいなければ音は出せない。
だから
・解散後に一斉に外に出た
・しかし潜水艦なしでは同じ速度では進めなかった
この現象とも、妙に整合する。
しかも皮肉なのは、彼らが「乗らされていた」からこそあそこまで遠くまで沈めた、ということ。
自由だったら、途中で浮上してたかもしれない。
しかし潜水艦だったから、圧に耐えながら深海まで行けた。
潜水艦ではなくプレジャーボートだったら?
たぶん
・天気図も見ず
・航路も決めず
・全員が舵を握りたがって
結果、湾内でドン。
プレジャーボートとは、一見自由だけれど
・喫水は浅い
・波に弱い
・スピードは出るけど持続しない
まさに才能がそのまま事故る乗り物。
ビートルズの4人を放り出したら、初期衝動は最高・・・しかし
・ジョンは港を出る前に爆発
・ポールは遊覧コースを周回
・ジョージは一人で沖へ
・リンゴは「みんな戻ってこいよ〜」
みたいになりそう(笑)。
なので皮肉だけれど、不自由な潜水艦だったからこそ世界という大洋に出られた。
しかも世代と時代を超えた深海まで。
自由とは、「方向」と「耐圧殻」がないとただの転覆リスクなのだね。



