出逢うと言うこと。まずそこから始まるのだと思う。
日常様々な人と出逢いそこから友情や信頼や愛に繋がって行く。
縁がなければただすれ違っただけの出逢いそこからは何も生れない。
縁があり言葉を交わし笑顔を見てその人の事をもっと知りたい、何でも知っておきたい、会いたい、触れたい、そんな感情から愛すると言う感情に変化するのだろう。
動物を愛すると言うことも多分同じなんだと思う。でも厄介なのは人間同士の愛で
嫉妬や独占欲や傷つけたくないが為に起こりうる遠慮と言う感情が芽生えてくる。
どの感情にも偽りはなくそれは全て愛するという事に値することなのだと思う。
私は新しい恋に出逢った。本当は愛すべき人がいた。過去は別として現在未来の
事を思えば沢山の反対にあった。反対されればされるほど私の気持ちはその彼から離れられなくなりのめり込んで行った。恋を失った経験のある人はその時の気持ちは分かってくれると思う。好きなのに諦めなければいけない痛さや苦しさは
言葉では書き表せない。でもその恋に終止符を打ったのも彼を思っての事だった。
幸せになって欲しい、もっとステキな人と出逢いその人を心から愛して欲しい。
だから自ら身を引いた。奇麗事ではなく彼を思うが為に自分で決めたさよならだった。それも彼を愛するが故。今も思いだすと心のどこかが痛む。愛していたに間違いはないと言い切れる。
やがて時が経ち新しい恋に廻りあった。でもね時々思う事がある・・本当に身を委ねて良いのだろうかと。何にも障害もなく誠実で真面目である分野では鋭い感性を持ち合わせ身体全体で愛してくれる。だから私だけではなく彼に魅かれる人は多い。
その魅かれる人の中に私の大切な友達がいたらまた譲ってしまわないといけないのかな?痛い思いをしたから人の痛みに敏感になってしまう。傷つき同じ痛さを突きつける様になればまた身を引くんだろうと思う。自分に自信がないから、愛する人が何時だって笑顔でいられるならこの前の恋と同じ様に去って行くんだろうと思う。愛すると言うことは捨て身にならなければいけないのかなと25年も生きてきてもまだ分からない。臆病のお人よしなのかもしれない、彼も友達も愛しているからこんな思いを抱くのだろうか?
本当は傷つく私が嫌いなのかもしれない。愛すると言うことってどんな事なのだろう?奪うものなのかな?与えるものなのかな?多分両方必要なんだろう。彼が毎日何度も愛しているよと言ってくれるのに愛されているのに愛すると言うことが分からないでいる。「愛しているよ」と催促されるまで言えない私が分からない。愛していると確信しているのに愛すると言うことはこんな気持ちなんだろうか。
恋愛依存症 近畿の神社 あたると評判の人気占い師 復縁体験談四国お遍路八十八箇所巡拝 中国の神社