きっと昔は手書きの原稿用紙を綴じた「生の脚本」が届いたんだろうな、と思いながらメールに添付されたプロットや脚本をポチッと開く。

そこから稽古初日まで、イメージのすり合わせ、解釈の解釈、予算との兼ね合い、最終的にできることできないことを重ねて最終稿を作っていく。
最終稿までくると『クライマーズ・ハイ』悠木よろしく「チェック、ダブルチェック」を念頭に出捌けや衣装替えのタイミング、大道具小道具の出し入れ、語尾人称を確認しながらステージを想像する
(その後、稽古期間に足し算引き算が行われて上演される、上演台本ができあがる)。

原作に接した時に感じたざわめきが、脚本の時点で燃えたり萌えたりじったんばったんするのは全作品共通。その余波がデザイナーやマーケティング担当者やキャストに襲いかかるのは毎度のことで、冷静な今ならまぁ自分落ち着けと思ったりするけれど、その熱が舞台の核を作り、大勢の人の手を経て魂が吹き込まれて、初日を迎えることに続くので、引き続きうちのスタッフにはこの燃えや萌えを受け取ってもらう所存です。

そんな中、先日読んだ脚本は文面からふつふつとキャラクターの想いや気持ちが湧き上がってきて、もう気持ちが抑えきれずボロボロ泣いてしまったので、早くその舞台を観て欲しいです。特に、男性に観てもらって、こういうシンプルで強い愛情って昔は持っていたことを思い出して欲しいと思っています(実際問題、実現できないからこその鮮烈な憧れって種類のものね)。
とある舞台のプロット打ち合わせの帰り、駅までの道すがら。
今回のプロットを作るに当たってのイメージを脚本家に聞いてみた。
イメージとなる構図があるのか?色があるのか?言葉があるのか?音があるのか?
文字を紡ぐ時に、文字で浮かぶ人と映像を追いかける人がいる。

彼女は圧倒的に映像派なので、ビジュアルから宣伝に紐づく何かがあるのではとヒアリングを続けた。

原作と実体化するための解釈と、それを伝える宣伝とは切っても切り離せない精神的な繋がりがある。
それが一本に繋がって、舞台の千秋楽まで推し続けたいといつも思ってる。

魔劇『今日からマ王』千秋楽\(^o^)/

15年前はまさにメルギブこと、メルギブソン主演の映画を配給してたなー(メルギブ挨拶付き完成披露試写会直前で来日が無くなったこともあったなー)とか思いながら、恙無く千秋楽の幕が降りました。

今回ほど見えないご縁に恵まれた作品は無かった。
良きにせよ反対の意味でも。

新しく抱えた課題を次にどう解いていくのか。を考えるのもまた楽し。であります。