乗り越える先にあるもの
アメブロやってみようと思います。
まず1回目ではあるのですがまじめな話を…
先日22日、僕の恩師、南八王子SCJrユース監督の松田さんが亡くなりました。57歳でした。
僕の現在のサッカーに対する思いや考え方の基礎はこの人から教わりました。だから今の自分があるのは松田さんがいたからこそなんです。海外のサッカー中継を泊まり込みで見せてくれたり、1人だけのための自主練メニューをくれたりまるで伯父さんのように熱く接してもらいました。指導者としてクラブに戻ってきてもその情熱や行動力というのは変わってなく、指導者としての環境を整えてくれました。
先日まで教育実習があった時も入院中にもかかわらず気にかけてくれてメールしてくれました。病室で病と闘って自分でいっぱいいっぱいのはずなのに、メールもしっかり打てるような体ではなかったのに。
僕はそのメールに返事をすることができませんでした。そして見舞いも正直逃げていました。病室で痛々しい姿は見たくなかったから…
後から別の方に聞いた話ですが、僕がそんな姿を見たくないことを聞いたらしくそのことに対して「それじゃダメなんだ」と言っていたそうです。
逃げずに現実を見ろと言いたかったんだと思います。そして最期が近いとわかっているから会っておきたかったんだと思います。
僕は後悔しています。まだ大丈夫と思っていたから、いなくなってショックが大きすぎて胸が締め付けられる思いです
お通夜の前日に同じコーチの人に自宅に連れて行ってもらいました。正直行きたくなかった。でもゆっくり会えるのは今日しかないと言われた。松田さんが眠っている近くにはボールと新品のシューズがあった。ボールは僕ら1期生が卒業の時にプレゼントしたメッセージボールでした。そしてシューズは7月に主催する大会のために病室から買ったもの。これをはいて試合を見に行くんだと両親に言っていたそうです。僕は泣くことしかできませんでした。最後なにもしてあげられなかったことがなにより悔しい。一緒にいてくれたコーチの人はその前日も顔を見にきているのですが、「前日より笑っている気がする。洋平を来させてよかったよ」というようなことを言ってくれました。
お通夜と告別式は1期生~10期生までOB、現役の子どもたちなど多くの方が参列しており多くの人に愛されていたのだと感じました。そんな中でも僕ら1期生を息子のように思って誇ってくれていたことを聞かされた。他の方々がご両親に頼んで棺を車に運ぶのを1期生にさせてくれることになり僕らは最後の孝行をさせてもらいました。
今も正直つらいです。みんなといて悲しみを隠しているという感じです。楽しいことをしても心から笑っていないと思います。むしろ笑うと疲れます。笑って悲しんでを繰り返しているので精神が安定していないんだと思います。立ち直るのはまだ無理そうです。切り替えなきゃしょうがないよとか、仕方ないよという人がいます。そんな簡単に恩師の死を受け入れることはできません。そんな軽いものではありません。僕にとってのかけがえのない人を1人失ったのですから。
でもそんな僕らがしなくてはいけないことがあるのをわかっています、それは松田さんが命よりも大切にし作り上げたクラブチームをこれから先も繁栄させること。松田さんが僕ら息子たちに熱意をもってサッカーを教えてくれたように、僕らが今の子供たちを教え、その子供たちが指導者として戻ってきてまた次の子どもたちを教える、それが後世に受け継がれるようにすること。それが恩師の生きた証になると思うので。
そう僕は思っています。まとまっていない文章にも関わらずこれを読んでくださった方、ありがとうございました。明日も学校や仕事がんばりましょう。
では
まず1回目ではあるのですがまじめな話を…
先日22日、僕の恩師、南八王子SCJrユース監督の松田さんが亡くなりました。57歳でした。
僕の現在のサッカーに対する思いや考え方の基礎はこの人から教わりました。だから今の自分があるのは松田さんがいたからこそなんです。海外のサッカー中継を泊まり込みで見せてくれたり、1人だけのための自主練メニューをくれたりまるで伯父さんのように熱く接してもらいました。指導者としてクラブに戻ってきてもその情熱や行動力というのは変わってなく、指導者としての環境を整えてくれました。
先日まで教育実習があった時も入院中にもかかわらず気にかけてくれてメールしてくれました。病室で病と闘って自分でいっぱいいっぱいのはずなのに、メールもしっかり打てるような体ではなかったのに。
僕はそのメールに返事をすることができませんでした。そして見舞いも正直逃げていました。病室で痛々しい姿は見たくなかったから…
後から別の方に聞いた話ですが、僕がそんな姿を見たくないことを聞いたらしくそのことに対して「それじゃダメなんだ」と言っていたそうです。
逃げずに現実を見ろと言いたかったんだと思います。そして最期が近いとわかっているから会っておきたかったんだと思います。
僕は後悔しています。まだ大丈夫と思っていたから、いなくなってショックが大きすぎて胸が締め付けられる思いです
お通夜の前日に同じコーチの人に自宅に連れて行ってもらいました。正直行きたくなかった。でもゆっくり会えるのは今日しかないと言われた。松田さんが眠っている近くにはボールと新品のシューズがあった。ボールは僕ら1期生が卒業の時にプレゼントしたメッセージボールでした。そしてシューズは7月に主催する大会のために病室から買ったもの。これをはいて試合を見に行くんだと両親に言っていたそうです。僕は泣くことしかできませんでした。最後なにもしてあげられなかったことがなにより悔しい。一緒にいてくれたコーチの人はその前日も顔を見にきているのですが、「前日より笑っている気がする。洋平を来させてよかったよ」というようなことを言ってくれました。
お通夜と告別式は1期生~10期生までOB、現役の子どもたちなど多くの方が参列しており多くの人に愛されていたのだと感じました。そんな中でも僕ら1期生を息子のように思って誇ってくれていたことを聞かされた。他の方々がご両親に頼んで棺を車に運ぶのを1期生にさせてくれることになり僕らは最後の孝行をさせてもらいました。
今も正直つらいです。みんなといて悲しみを隠しているという感じです。楽しいことをしても心から笑っていないと思います。むしろ笑うと疲れます。笑って悲しんでを繰り返しているので精神が安定していないんだと思います。立ち直るのはまだ無理そうです。切り替えなきゃしょうがないよとか、仕方ないよという人がいます。そんな簡単に恩師の死を受け入れることはできません。そんな軽いものではありません。僕にとってのかけがえのない人を1人失ったのですから。
でもそんな僕らがしなくてはいけないことがあるのをわかっています、それは松田さんが命よりも大切にし作り上げたクラブチームをこれから先も繁栄させること。松田さんが僕ら息子たちに熱意をもってサッカーを教えてくれたように、僕らが今の子供たちを教え、その子供たちが指導者として戻ってきてまた次の子どもたちを教える、それが後世に受け継がれるようにすること。それが恩師の生きた証になると思うので。
そう僕は思っています。まとまっていない文章にも関わらずこれを読んでくださった方、ありがとうございました。明日も学校や仕事がんばりましょう。
では
