おそらく本人はそういうつもりではないんでしょうが、自分は最近母方の祖母に時々あしらわれるようになました。





ムッとすることはなく、正直少しびっくりしました。





自分は正直昔から成績も良くなく、俗にいう「できる子」ではありませんでした。しかしながら祖母はいつも優しく(母が厳しいため)自分の見方になってくれた存在でした。もちろん今もそうです。すごく優しく年をとっても離れた畑まで仕事に出かける自慢の祖母です。





しかしながら本当に時々ですが畑の手伝いに行くと、色々楽しい話をかけてもあしらわれてしまったり、またいつも何かと優しく自分に教えてくれた祖母でしたが、「自分にはわからないよね?」などと相手にされないこともありました。もちろん祖母や周りから見れば何でもない話です。ただ自分にはこのことが少しショックでした。





気づけば自分は大学生。やればできると言われ続け大人になってしまい、自分以外の4人の従兄弟らは昔から勉強もでき、現在4人とも信じられないような超優秀大学に通っています。




まだ高校生の妹を除いて、自分はいわゆるこの一家の「恥」になってしまいました。




地元から遠い大学に通い一人暮らしをはじめ一人で一生懸命生活している従兄弟達とは違い、彼らとは比べ物にならないような低い大学に通い未だ家族のすねをかじり続け、最近は部活も辞め何に一生懸命かもわからないような自分を「同一視」していることはまずないでしょう。




祖母への不満ではありません。無論がんばってもこうにしかなれなかった訳でもありません。思い返せばまだまだ足りてないことがたくさんありました。おばあちゃん孝行できないことに本当に申し訳なく思っています。




祖母の家に行くと決まれば祭りのように喜んでいた昔とは違い、心のどこか深いところで少しためらいを感じるようになってしまっている自分が本当に情けなくて悲しいです。





杞憂にすぎないのかもしれませんが、もう祖母には会わせる顔がなくなってしまったのかもしれません。
自分は某私立大学の体育会に去年いっぱいまで所属していました。





所属体育会の中で、自分の学部と同じ人は去年まで1人しかいませんでした。なんでも自分の学部は大学の中でも忙しい学部の一つであり、サークルはともかく体育会などやる時間はないということで、入部者が少なかったためです。



しかしながら自分を合わせ、我々の学年からは6人も入部者がいました。周りからは珍しさと不安さで、ある意味注目されていました。




そんな我々6人は初対面ながら仲良くなり、「勉強、部活共に頑張って行こう」と固い意思を結びました。去年の今頃、その中の1人の家に泊まり朝まで語り合ったことを思い出します。



しかしながら現実はそんなに甘くはなく、厳しい履修と共に週6回 (月曜日以外) 朝6時30分からの練習、さらに昼休みも練習に費やす毎日に肉体的、精神的にもついて行けず、ついにエース候補だった1人が夏に辞めてしまいました。



その後留学や父の容体を理由に2人辞めてしまい、ついには勉強やタイへの帰国を理由に自分も去年いっぱいで退部しました。




弱音や不満を吐いてきた我々4人とは違い、残りの2人は部活に情熱を注いできました。ついには1年のリーダー的存在にまで登りつめ、いつしか我々とって彼らは輝いて見えました。



しかしながらその2人もついに退部を発表。あの日語り尽くした6人はついに全滅してしまいました。





自分も辞めた1人ですが、なんだか切なく感じます。それぞれ違う道で各々の目標に向かって行きたいといます。






路線変更はしましたが、あの頃語った未来に向かって我々は進んでいるのでしょうか?

iPhoneからの投稿
今は丁度卒業シーズン。





昔から自分はこの時期が好きではありませんでした。無論花粉もありますが、今は別れの季節です。最近は引っ越しやドラマの最終回、また外に出れば卒業生を目にしたりと、周りには様々な「別れ」が目に見えてきます。AKBのトップアイドル引退も大きなニュースになってますね。





去年の今頃、長かったタイでの生活に別れを告げ日本に帰国したときも多くの別れがありました。それは友人だけではなく、今まで自分が当たり前のように過ごしてきた環境やいろいろなものに別れを告げてきました。





すべてのことには必ず「別れ」があります。ただそれが当たり前のようにある頃はどうしても永遠を感じてしまいます。「いつでも行けると思ったら結局行けずじまい」と昨日友人が言ってたように、当たり前にある環境をどうしても軽く思ってしまいがちです。




しかしながら某漫画のキャラクターが言っていましたが、終わりや別れを気にしながら行動していては楽しめないというのもあります。今まで当たり前のように過ごしてきた思い出があるからこそ、感動の別れがあるのだとも思います。




別れはいつでも悲しいですが、悲しい分思い出がたくさん詰まっているということではないでしょうか?つくづくそんなことを感じます。




どうしても去年を思い出してしまいます。