6冊目
「傾物語」
西尾維新
講談社BOX
『変わらないものなどないというのなら――
運命にも変わってもらうとしよう』
迷子の小学生・八九寺真宵。
阿良々木暦が彼女のために犯す、取り返しのつかない過ちとは――!?
“物語”史上最強の二人組(ツーマンセル)が“運命”という名の戦場に挑む。
君の影、探して“まよう”帰り道。
・・・・・・・・・・・・・・・
夏休みの最終日、忍に指摘されて夏休みの宿題を一切やっていなかったことに気付いた暦。
焦る暦に対し、忍は「時間移動くらいならできないことはない」などと言い出す。
その言に乗り、1日前に戻ることにした暦だったが、いざ過去に戻るという時に真宵のことを考えてしまう。
その思考に引きずられるように、ふたりは真宵が交通事故に遭った11年前に移動してしまうのだが……、という流れで物語は進んでいきます。
曲がりなりにも怪異譚だったこれまでの「物語」と違って、今回はSF仕立て。
しかも王道のタイムトラベルものです。
「タイムバラドックス」とか「対消滅」とかそういうベッタベタなタイムトラベル用語がすごく懐かしい。
あんまりSF小説は読まないのですが、このへんの用語はしっかりと身に付いているもんだな、と我ながら感心しましたね。
話はすごく逸れますが、『時間移動』を英訳する時はやっぱり「タイムトラベル」となるんでしょうか?
『Dr.スランプ』世代のせいなのかついつい「タイムスリップ」と言ってしまうのですが、それって私だけなのかしらん?
それはさておき。
SF設定ではあるものの、勿論ストーリーは脱線に次ぐ脱線。雑談に次ぐ雑談がくりひろげられます。
西尾作品はどれも多かれ少なかれ本筋とは関係のない雑談が面白いのですが、この「物語シリーズ」ではその傾向がものすごく顕著で、個人的には本筋になんて戻らなくてもいいのでずっと雑談して欲しい、とすら思っているくらいなので、その部分はものすごく満足しました。
暦の新たな性癖が明らかになる部分とかは、もう最高!
そんな感じにさんざん枝葉部分でボケ倒しておきながらも、本筋の最後はきっちり締めてくれるのはさすがだなー、と思いました。
読んでるうちに忘れかけていましたが、今作の表紙を飾るのは八九寺真宵。
サブタイトルも「まよいキョンシー」
そして、以前の本(確認してはいないですが多分「偽物語」の時だと記憶しています…)では、
「真宵が武者の幽霊と出会う」
なんていう予告がされていたりしてたのですが、蓋を開ければ真宵が全くメインじゃなかったことにはびっくりしましたね。
完全に暦と忍の二人旅。
こんな風に期待をがっつり外してくれるのも、西尾作品の魅力っちゃあ魅力なのかもしれません。
次作は神原駿河メインの「花物語」ですねー。
なんて言ってる間にもう出版されてて、しかも今現在、既に読み始めてたりするのですが、残りはあと4作。(と言っても変更の可能性もかなりあると思いますが)
精々期待して、期待通りと喜んだり思いっきり外されてびっくりしたりしながら楽しみたいと思います。
そして出来れば、今回思いのほか出番が少なかった真宵に見せ場を作って貰えれば、もう言うことはありません。
次作も次々作も、絶対に読みます!
最後に、これはもうものすごくどうでもいい話なのですが、作中に出てくる、
『藤子先生』
『ドラえもん』
『どくさいスイッチ』
『アサギマダラ』
等々のフレーズについつい反応してしまった辻村深月ファンは、ワタシです(笑)