ヨガをやり始め早16年。息子と同い年なので分かりやすい
どんどん変化がありました。
16歳。私の16歳は何も怖いものがなかった。
やりたいことが何でも今から叶えられる年だと信じて疑わなかった。それは19、20歳くらいまで続いた。
そこから、どんどんどんどん飲まれ、めっちゃアマちゃんやったなぁと今思う。必要やったなぁ。そんな中途半端な立ち方では社会から一度淘汰されること。
そしてそのまま母になり、一人ならいいけど、二人でそれは困る‼️と始めたヨガのおかげで、16歳のあの意識に戻りつつある48歳。
しかし最近思うのが、あるところまでは戻れたけれど、そこからがまだまだ感。
ヨガやっててね、行きついたのは、今日まさに哲学講座ほんまさわりで教えてもらいました、
「未熟でいいから自分の役割を生きること」
これは哲学を学ばなくても16年のヨガ生活の10年目くらいから気づいて最近それで間違いない、と思っていたこと。あまりに同じでビックリした‼️
で、この言葉が私の中にずっとありましてね、それは…
で、あんた、今世何しに来はったん?
私が仕事として、私をこの世で見守る番人的な人間やったら、それ、今声かけると思うわ。
最近、私、
何かやりにきて、まだそれやれてない気がするねん。ただ、そんな気がするねん。
それは、なんか今やってることに飲まれかけるといつも思い出す。
ちゃうで、その状態になるいうことは、そこちゃうで。
と。
そしてそれは多分私が思うに、そんなたいそうな生きる使命みたいなんやなくて、もっと楽しみに来たんやろ、ここへ?みたいなところ。
ここ10数年の私は、仕事に子どもを育てることに一所懸命で、それはとても楽しく、また充実もしてたけど、恐らくここからは、そういういわゆるちゃんとした部分ではないところで、まだやってないことがあるで、ということのような気がする。
だからといって、今きっとこれやなー、とピンとくることもなく、ほんまにこれからなんやろな。
と、黄昏れる48歳11ヶ月🤣
私、まじで何しに来た?