昨日はAzureヨガティーチャーズトレーニング、私の出番来たんですよ💦あっという間の5ヶ月目。




オリジナリティ、私これしかないからね。ほんま。


昨日は時間が全然足りず、終わった後は疲れ切って夜ははにわみたいな顔してた。寝てないのに寝てる人みたいな。


昨日皆さんに話をするために、過去にどんなことが起きて、ここに至ったか、ここ最近思い出してた。


私はインストラクターになることで人生のあれやこれやを学ぶことになっていたのだな、と思う。それと息子が生まれてくれたこと。まだまだこれからもそんなマイルストーン的な出来事はあるのかもしれないけど、とにかくこの二つ。


で、思い出したんが高校生時代の話。

インストラクターになりたい、と思ったきっかけも偶然のような話ですが、インストラクター目指せたのも環境が味方してたな、と。


高校が進学校だったんです。進学率100%みたいな高校で、それでも当時は学校の雰囲気もゆるかった。そしてうちは父がゆるかった。


スポーツバカな父だったから、お金出すの父やし、やるんなら本場へ行け、的なことで東京行かせてもらったんですけど、学校はどう切り抜けたか?


担任が体育でね。私がエアロビクスに夢中なのも知ってた。


お前進学はどうするんや?


大学とか行きません。勉強したいことないし、入れるレベルの大学行ってもどうせ辞めます。だから行きません。


この態度が珍しかったのか、その熱意が伝わったのか、その真意は知らないけど、ほな、ちゃんと卒業だけしなさい、と。毎日学校来てテストも受けなさい、と言われたと思う。


そして思い出した先生からの年賀状。絶対捨ててないと思って引き出し開けたらやっぱりあった🤣



自分の夢をつらぬきなさい


親も見るのにさ、、下書きの字も消さずに🤣進学校の先生がエアロビクスインストラクターになりたいとか地に足の付かないこと言う子を応援するか🤣?


なんてええ先生なんや‼️真逆の先生も当時たくさんいたのだけど、夢を見させてくれる先生も少なかったけどいて、だから学校嫌やったけど通えた。


好きやった、英語のK先生とこの担任。ほんでスキー合宿行った時の先生、めっちゃ優しいのに厳しいあの先生、名前思い出されへんけど、その3人は信用できる大人だったなー。とか思い出した。


大昔のさ、こんなひとことを宝物のように私はずっと持ってて、その最初の心を忘れたくない。インストラクターになって、もうそれはそれは大変なことも多々あって、やめたいと思ったこともあるし、実際やめて、でもやっぱりまたやってる。


面白いのは、最初にやりたいと思ったキラキラした気持ちと、今の仕事が好きという気持ちは同じものではないどころか、全く違うのだけど、どこか共通している。


自分が自分らしく自分でいれる仕事。

もちろん私も「こうでないといけない」みたいに力んでる時代もあった(結構それも長かった)。


けど、もうそれ飽きたんですよ。こんなんでやってられるか、とある時思い、こんなに安く使われる人間ちゃうわ!とブチ切れ、そのままの私が嫌ならどうぞ去ってくれ!って思ったんよ。もうそれでダメならほんまに辞めるわ、と。


そこからは、とても不思議なことに全てが好転した。あんなに壊してた喉が壊れない。疲れて風邪引いてたのもなくなって、自分のペースで仕事した方が収入の心配が消えた。


それまでは怖くて、自信なくて、「違う、と思うものを握りしめてた」それ持ってるからうまくいかんのやぞー、って感じ。今はそう思う。


だからね、もう演じなくていいよ、自分自身出していこうよ、ってことを昨日やらせてもらってんけどね。出すの怖いよね。分かるわ。


その仮面剥がしたら死ぬやん!みたいに思ってるねんな、仮面被ってる時というのは。しかし脱いだフリでは何も変わらないのでね、やるかやらないかは本人次第で私は黒子のような存在なんやな。来月も頑張ろ。