少人数のレッスンだと、その方々との会話も多いので、その方が何をしていて、どんな目的を持ってて、どんな風に私のレッスンを楽しんでくれてるのか?というニーズには応えやすいし、日々私もそれに応えようとしている。
たまに、そのニーズがその方だけの暴走になってしまうことがある。近いからの甘えだろうな。大体暴走し出すと手に負えなくなって、そのうち他の方々とエネルギーが合わなくなって自ら離れていかれる方が多いように感じてるけど。それはそれでいい。どちらもそれぞれの価値観を大事にするのがいいと思う。良かれで動かないでほしい。暴走しとったわ、、と言いながら戻ってくる人もいる。これはめちゃめちゃかわいいと思う😆💕
全てのものは変化するけど、ある程度「芯」とか「軸」みたいなものをインストラクターは持っているから、レッスンに来てもらえるというのはその何かを感じてどこかに共感してくださってるから、続けてもらえるのかな、と思う。
そんな意味で、大人数でやるクラスというのは、本当に多種多様な方が来やすい環境と言える。エネルギーの種類が混ざるというか。
で、こちらとしても、毎回皆さんと会話をして、その人を知るということにも限界があり、まず、大人数のところに来るということ自体、それを好まない方も多いわけだ。と、まどろっこしい話ですよ、私の整理ノートみたいになります今日は。
さて、最近Web予約になった夜の早い時間のクラス。当日空きがあれば飛び込み参加もできる。仕事で間に合わないかも、という方は予約をせずにこれで入られたりする形式。
昨日ギリギリに1人いつも来てくださってる男性が、「あ、空いてる!入っていいですか?」と。
もちろん空きスペースをご案内。
なんで早い時間になったんですか?必死です、来るの。
すみません…私がしんどいんです遅いの。何年も早い時間にしてくださいって頼んでたんです。
ああ、そうなんや。ほな仕方ないですね。
みたいな短い会話をしたのですが、わざわざ急いで来てくださってるのか、普段ほとんど話してもないけど、何か拾ってくださってるんやな、と思った。
私は心をオープンにして、こんなところを大事にしようね、身体を丁寧に動かして、今やってることに集中できたらどんな感じ?と問いかける。
私がヨガがもたらしてくれることを身体で言葉で態度で表現していくこと、を思いっきりやり続けてると、それってどう受け取っておられるか分からない部分も多いけど、何かその人のプラスになってるんやな、と感じる。
難しく考える必要って本当にないと思う。分からないことはとりあえず置いといて、分かることをやる。
レッスン始まる時、
座って呼吸するだけなのに、次々と頭の中には違うことが浮かび、なんか呼吸は浅いし、座ってる足の付け根がなんか引っかかるし、背中は丸まってるし…
でも、そんなんやったのに、どんどん続けて動いてる間に、あんなに忙しかった今に関係ない思考はどこ行った?
しんどいぞ、とは思ってる。どないしたらかかとから頭頂まで繋げるてなんねん!とかは考えてるかもよ。でも、今ってそれしてるから、それはとりあえず今にいるよね。
そしてそれも終わって最後の呼吸では、足の付け根が引っかかってたとか、呼吸がしにくかったとかもはや忘れて、ああ、ただ座って呼吸に素直に入れる。ただ、それだけ。
取り組めば、それを毎回体験できる。
言い方を変えれば、ただそれだけ。だから、もっと、もっと…と外に求める人には合わない。
しかし、インストラクターが、それがめちゃめちゃ気持ちの良いことだと全身全霊で思ってやってる(単純)
混沌としてしまいすぎる、仕事が忙しすぎる、すぐ力む、そんな方々にはヒットするよね。なんであんなにおばちゃんやのに天真爛漫に脚上げて、ひっくり返って悩みなさそうなんや‼️
シンプルにあることがいかに豊かであるか。
欲はあるよ、いっぱい。全然こっちも修行の身だもん。けど、何年もやってたら、今でないことの心配とかしなくなった。今あることをやるように変化してきました。これが滲み出てると嬉しい。そこ伝えたいもん。
で、そのペースは人それぞれ。暴走するも自由。そうやって、私はどうしていきたいのか、どうあることが幸せなのか、を行きつ戻りつしても少しずつ近づけるといいよね。
それの手伝いになっていると嬉しい。
三歩進んで二歩下がる。by チーター
昭和なヨガインストラクターをよろしく😁