すごくショックなことがあって、そこに目を向けず、未来に向けようとして、悲しみにフタをした。

ハッキリ書こう

子どもが出来たのに結婚出来ない、と言われ、え?ヤバイやん。ってなってんけど、お腹に宿った子がよく分からない超音波画像の点で既に愛おしすぎて、この子が可愛すぎて♡自分に起こったことを自動的に見ないようにした。今、思えば防衛本能みたいなもんか?

で、そこからは色んな人に力借りまくって子どもを育ててます。あの…私は普通に育てられました。特に不自由もなく、裕福な家庭ではないけど愛情あって、親もまあまあ変わってるし、自由に育ててもらったので30過ぎまでちゃらんぽらんでも生きて来れた。

で、そんな人生初の大きなショックの後出会いましたのがヨガ。

これ、なんか、心にも身体にも良い気がする!

で、仕事休みの子の寝てる横でDVDから始めたヨガ。で、あまりにも普通にスタジオとか行ってなかった偏った情報だけのため、いきなり行ったレッスンがケンハラクマ先生のアシュタンガ

分かってないくせに最初いきなりアタリを引いた。

でも、そこからが迷路。逆にね。

ヨガインストラクターとしてやっていく時に、一番大事やと思うのは、インストラクター本人が心も身体も幸せか?ということ。私はどうしてもそこ。

身体だけ、も、心だけ、も違う、と思う。

ケン先生のヨガ、というか、ケン先生のところへ行くと半分以上は「生きる」話。質疑応答とかめちゃ面白い。

アシュタンガのWSに来られる方はほとんどが真面目なプラクティショナー。真面目すぎるあまり、どの世界に生きてるの?ってすごい視野の狭い質問をされる方も多くて、それを先生は真顔でぶった切る。

でも、その切り方がね、血がブァーてならないようにスパッと切っといたよ〜、この方が治るん早いからね!的な感じでね、傷つくのかもしれないけど、傷ついたのを持って帰ることはあんまりないんちゃうか、と思う。

と、心と身体の健康をちゃんと地に足ついて解いてくれるから、すっかりはまっちゃった。

と、ケンハラクマ先生LOVEな話に飛んだけど戻る。



言葉で心と身体の健康を説きながら、やってることが違うと本人が違和感。

インストラクター本人が思ってること、言ってること、やってることがそのまんまなのに、生徒さんの方で違和感を感じる時は、生徒さんの「大事」の基準がインストラクターとズレてるのではないか?それは良い悪いの話ではなくて。

これ、現場の経験値で思うだけで何の統計も取ってないけど、あながち間違ってないと思う。

で、じゃあインストラクターを変えたら良いのか?それもアリです。もちろんです。生徒さんは自由です。

でも、結構好きなんよな、変えるほどでもない。

これ、ないですか!?

これ、私一番面白いんちゃうかと思うんやけど、どこがちゃうんやろ?をちゃんと感じる。

そうすると自分のしたいことが見える。

先生と全く同じでは絶対ない。

ある程度の輪郭みたいなんが一緒で、違いを大事にしてくれるインストラクターが何人かいて、色んなアプローチ見せてくれるのがベストやと思う。

自分を解放する、心も身体も。そのやり方をもっと貪欲に、楽しんでほしい。

てなことを最近思う。

というのも、、私が長い間違和感を持っていた。それが何年もかけて、伝えることも、受け取ることも、どんどん違和感が減ってる。まだなくなったとは言えない。なくならないのかもしれない。

完璧や!と思えたものも、時が経つと違ったりする。20代のそれと40代のそれが違うのは当然のこと。

て、ことで、やっぱり大事にする、は今やねん。

て、やってると、レッスン一本一本が濃くて…前にも増して1日がすぐ過ぎていく。(え?ただのばばあ現象?)


さて、どうでもいいコーヒー好きの話で終わろう。

最近美味しいコーヒーを日々飲んでたら、コンビニのコーヒーはそこそこ美味しいのに何が違うのか?を感じた。

セブンのやつは、とにかく最初からエグみがある、濃くて美味しいとも思えるけど、今私が毎朝飲むコーヒー達と比べるとそこが大きい。

ローソンのやつは、惜しい。薄い。明らかに一杯に使ってる豆の量が少ない気がする。

で、どちらにも言えるのが、飲んだ後喉に残る。これはスタバとかもそうやな。

偉そうに書いたけど主観です。色々な当たり前を感じて、自分のこれだ!を何においても探したい44歳なのでした。鬱陶しいのは重々承知♡