人を幸せにしたい、と長い間勘違いしておりましたので、大得意でした。余計なお世話が

読んでないけど、先日40代のフリーターの暮らしが悲惨、て見出しが目に入りまして思ったんやけど。

私なんかも、40代フリーインストラクターなので、不安定です。

安定 が最優先の方には最悪の条件です

収入 が最優先の方だとたくさん仕事をしなきゃいけない となります。

私の場合は、自分がのんびり屋なのと、YUとの時間が欲しいのとで、あまり仕事を増やしたくもない状況なので、安定も収入も少ない という

安定と収入が優先の方には悲惨にしか思えない生活です

けど、毎日笑っていますし、毎日楽しいですし、私って幸せやな~( ´ ▽ ` )ノって自転車乗りながらニヤニヤしていたりします。

もちろん雇用問題は社会の大きな問題だと思う。

それを解決すべく奮闘してる方も素晴らしいと思う。

でも、人を自分のものさしで見て、悲惨ね、て思うのは余計なお世話だと思う。

人は時に迷い、良かれと思って負のスパイラルになぜか落ちてしまう時もある。

だから実際悲惨な人もいるだろうけど、全てではない。

以前は、そういう記事を見たりすると一緒になって憂いだり、じゃあ私も皆さんに悲惨と思われているのかな、なんて思ったりしましたが、

どうでも良すぎ

シンプルに自分の優先したいことを優先して、ま、我慢出来るかな、てとこは我慢したら今すぐ幸せです。

インスタントハッピーです。チーン、て出来ます

でもそれじゃ食べられない、と言うなら、毎日の笑顔は我慢して、まずは収入メインで考える。

私、YUが生まれた時そうでした。

彼を幸せにしなきゃいけない気持ちが、安定や収入だと親に言われて思った。

で、私の幸せはさておき、収入や安定を求めて奮闘した。

けど、何年かそう生きていたら、死んでいるような気になったので、収入と安定を捨てて、今の仕事に転職した。

私には「生きている」「笑っている」ことが優先なんですね。

おかしいかもしれないけど、悲惨とは程遠い。対局だと自分では感じています。

物事には色んな面があって、大人はちゃんと自分で選んで生きてるな、って思う。

だから、人が選んでるものを外野が大丈夫?ってのは余計なお世話かな、と。

その時間大事に自分のために使お。老い先短いかもやし。