両手に荷物を抱えていたら、他の荷物を手に持つことが出来ません。それを手放さなければ、もっと素晴らしいものを手に入れることができないのです。
 いま持っているあなたの執着を手放します。手放すことは、損をすることのように感じられるかもしれませんが、こだわりが取れ、その奥にあるすべてを知る本質、神に近づきます。

 ヨグマタ
 まずは、自分が執着している物事へのこだわりは本当に必要なのか、必要でないのか。そのことに気づくことは大きな成長です。

ヨグマタ
 木々が赤く色づき始め、庭の風景も塗り替えられてきている。

 変化をしているのは、自然の木々達

 それは自然の神様がそうさせている。毎年毎年。

 赤ちゃんも自然の神様によって生まれてくる。

 私たちは自然の神様に生かされているんだなぁーと実感する。



 人の体と心には様々な歴史が刻まれています。それらは、今の運命に大きく影響しています。

 人は一生懸命に生き、年を重ね、努力しています。そして、幸せを感じたり苦しみを感じたりさまざまな時間を過ごしています。人生がより安らかで、すべてのことが速やかに進みクリエイティブに、成功を収めていけたら、どれだけ幸せでしょうか。

 そのために、強靭な体を創ったり、強靭な精神を創ったり、さまざまなスキルを高めるための学びをしたりと、自分を磨くことに余念がない人もいます。

 それらは、やみくもに心身を使い、消耗し、狭い範囲の思い込みの知識からの行動なのです。

 そうした中、ヒマラヤからの真理の教えは、あなたを日々、知恵ある人に磨かれ、生命力をたかめられ、愛ある人に生まれ変わらせていく実践の教えなのです。

 そのエッセンスをシェアーしてあなたを変身させます。心身のすべてを再生して、すべての機能をよみがえらせます。あなたの願いがかなえられていきます。ヒマラヤ秘教方式で、心身を磨いて、より快適に感じ、活動し、人生に豊かさと成功をもたらしていきます。

 内臓を浄化させ、粘膜を若返らせます。病気というものは、突然なるのではなく、たとえ数値に出なくっても、潜伏している期間があります。若い時から次第にストレスをため、それは年月を重ね蓄積され、いつか現象化するのです。誰にもこの危険性はあります。

 何も症状が現れなくても内臓や体をアヌグラハの水で洗い浄めて生まれ変わることで、新しい新鮮な生命をいただくことができるのです。

 ヒマラヤ秘教の教えは、体を浄化し、体質を変え、軽やかに生まれ変わらせてくれます。また心を浄化し瞑想を深め、深いところから変容します。すべてがサマディレベルの知恵から生れた生命力を高め、内臓を浄化し体質を改善し正しい食べ方を得て、若返って生まれ変われるプログラムです。

 瞑想が一段と深まり愛と平和がひろがって人格が進化します。さらなる進化のために、また病気の体質改善のため、ダイエットのため、深い瞑想の体験のため、肌を美しくするため、限りない様々な効果が期待できます。

 さらに本当に自分に出会う、悟りへのステップアップになっていくのです。

ヨグマタ
 いかに生きるべきか、そしていかに死ぬべきなのかということについて、もっと自覚をもっていただきたいのです。

 そして自分の内側に何が起きているのか、自分はいったい誰なのかということに気づいていく必要があります。

 また死んでから、私たちの生はどういうふうになるのかを知ってほしいのです。

ヨグマタ相川圭子

~『心を空っぽにすれば夢が叶う』より
 太陽はすべての植物に光を与え、力を与えています。

 そうやってずっと与え続けていますが、決して何も奪いません。

 ただ与え続けています。

 ところが、私たちはといえば、もらうことばかりを追求して、ただ吸収するだけです。

 するとパンパンに膨れあがってしまいます。

 入ったものを流していかなくては滞ってしまいます。

 流して流して、そして与えて与えて、最後に光になっていくことです。

ヨグマタ 

『心を空っぽにすれば夢が叶う』より
 考え事をしているような心の状態ではなくて、瞑想が深まってより高い意識と一体になっていくと安心感と安らぎに包まれてるように感じます。
 心をなくすと人間としてなりたたないのではないかと不安に感じるかもしれませんが、深い静けさの中にいるとき、時間が止まり、神様と一対一で対面しているような幸福感に包まれます。また、そのような自分をただ無心で見ているようになります。そのような感覚の究極がサマディーなのだと思いますが、実際に自分で体験してみないとわからないところではあります。でも多くの本などに書いてあるように、無心になることが、一番重要であると思います。
 まずは自分で体験してみないと手がかりがつかめないと思います!
 職場では3月の定期異動が行われた。
 私の部所では16名中7名の約半分が交代した。
 私はこの部所で3年目を迎えているが、新しく転入して来られた方々同様に、自分も新規一転、新しく転入してきた気持ちになっている。

 職場を綺麗に見せるため、保つために、今まで以上に清掃や整理整頓を心掛けている。これが私の役目であると初めて自ら認識できるようになったのだ。
 片付いている職場だと気持ちがいいし、おもてなしの気持ちというのも強い。序列が一番下だからという気持ちはなくなり、以前あった変なプライドはもうなくなった。
 この仕事をありがたくさせて戴いているという感謝の気持ちでいっぱいだ。
 西洋医学、現代医学は、対症療法であるため、何度も繰り返し同じ病気にかかってしまうことがあります。
 根本原因を知らないため、薬や手術によって病気は治っても、また再発することもあります。ガンの転移や再発が、その例です。
 それに対しヨガは、エネルギーの様や心の相を通して、からだのさまざまな状態に気づき、何が本当にその病気を作り出しているかその原因を探ります。
 そしてそれを取り除き、本来の安定した状態に戻すのです。
 頭だけの判断ではなく、心とからだの歪みを実践的に正し、いらないものを解放し、快癒へ向けて変化させていくのです。
 それは、心とからだの自然な結びつきを回復することでもあり、本来の自分に還ること、もともと完全であった自分に戻ることなのです。
 そのために必要なのは、澄んだ平安な心です。
 それは、信頼し安心する心から生まれます。その心がなければ、どんなに高度なヨガのテクニックを駆使しても、大きな効果はありません。
 ヨガは瞑想を重視します。
 瞑想は内側のエネルギーを整え、浄化していく作用があり、内側の真理に気づくことができます。
 それは心身をゆったりとくつろいだ状態にして、健康にすることができます。
 また、それは人間本来の姿にたちかえっていくことであり、安らぎとパワーを満たすことでもあります。

引用:瞑想でキレイになる
 紀元前五千年のヴェーダやウパニシャッドを通じて、ヒマラヤに生まれたヨガのことがわかります。
 自然とともに生き、その自然を創った神を畏敬していた古代人にとって、神への祈りはごく日常的なあたりまえの日課だったようです。
 その神への祈り自体、一種のヨガ行法で、古代人は、そこからさらに自己との対話や、安らかな精神統一へと入っていったのです。
 自然は、実に複雑な様相を呈しますが、いくつかの単純な原理で成り立っています。
 ヨガは、その自然を成り立たせている根本の原理を受け入れるところからはじまっているのです。
 ヨガが、今日まであらゆる健康法の中で、信頼を受けてきたのは、その起源が古いからだけではありません。
 古い時代に考案されたものでありながら、現代医学や精神学、各種の身体学が舌を巻くほどに、高度で科学的な認識に達していたからです。
 ヨガは哲学ですが、観念的な哲学ではありません。
 きわめて実践的で合理的な心とからだを知り尽くす生命の哲学であり、臨床的で実証的な人生の哲学なのです。
 たとえば、「心とからだの自然な結びつきが崩れると、心が乱れ、からだが乱れる」ということを西洋の哲学のように理解したならば、これは論理的に当然だということになります。
 しかし、ヨガではこれを一つの論理として、頭で理解するということにとどまらずに病にかかった本人が、自分の心とからだを通して、疾病の本当の原因を深く認識するのです。

引用:瞑想でキレイになる