こんにちは!

今回僕がみなさんにおすすめしたいものは、

映画「FAKE」です!!

 

『A』『A2』以来実に15年ぶりの森達也監督作。佐村河内守氏の自宅でカメラを廻し、その素顔に迫る。取材の申し込みに来るメディア関係者たち、ことの真偽を取材に来る外国人ジャーナリスト…。市場原理によってメディアは社会の合わせ鏡となる。ならばこの「ゴーストライター騒動」は、社会全体が安易な二極化を求めていることの徴候と見ることもできる。 はたして何が本当なのか? 誰が、誰を騙しているのか? 
映画は、この社会に瀰漫する時代の病をあぶりだしながら、衝撃のラストへとなだれ込む。

(映画『FAKE』公式サイトhttp://www.fakemovie.jp/introduction/より引用)

 

監督である森達也氏は1998年に『A』という映画でオウム真理教に密着したドキュメンタリーを製作し、ベルリン国際映画祭に招待されている。その続編である『A2』を2001年に公開した以降は執筆業を主にしており、単独監督作品の映画としては15年ぶりになるのがこの作品である。

ちなみに森達也氏は明治大学情報コミュニケーション学部の特任教授も務めている。

 

ちなみの僕がこの映画のことを知ったのはTwitter上で自分がフォローする映画監督、お笑い芸人、ミュージシャンが絶賛のコメントをこぞって寄せていたからなのです。一般公開の一カ月前ほどからマスコミや芸能関係者のみに行われた試写会が行われ、岡村靖幸や水道橋博士、カンパニー松尾、マキタスポーツなどがコメントを寄せていました。

 

そしてこの予告編を見て、これは見なきゃ!という気持ちに駆られました。

https://youtu.be/MY12bzfl8jw

 

映画の感想の前に、僕がこの映画の主人公である佐村河内守氏について鑑賞前に思っていたイメージは、耳が聞こえないという嘘をつき世間を欺いたペテン師、といったものでした。みなさんもそのようなイメージを持っている人が多いでしょう。なぜこのイメージを思い出したかというと鑑賞後にそのイメージが覆される”かも”しれないからです。

 

先月、渋谷はユーロスペースという映画館でこの作品を見に行きました。

噂には聞いていたものの、平日の昼間でも満員立ち見状態。なんとか早めにチケットを取って席には座ることができました。ちなみに一個前の上映終わりにモノマネ芸人の松村邦洋さんやクリエイターの箭内道彦さん(ちなみに僕の高校のOBであり作品に参加させていただいたこともある)も来ていて業界内の注目度の高さを改めて感じました。

 

 

 

 

 

「ここで終わっちゃうの!!!!」

終わった瞬間そんなセリフが口を突いて出てきました。ネタバレ厳禁の映画なので詳しくそのことは言えませんが、とにかくそのことについて、広くはこの映画について見た人と話したい!と思いました。

 

ネタバレしないレベルの感想を述べたいと思います。

この映画は基本的に森監督が佐村河内家にやってきて、そこにいる佐村河内と妻と猫、そして家にやってくる他のメディアを映すだけで行動範囲はとても狭いです。ほとんどは監督、佐村河内の会話がメインで、監督の言ったことを手話に直す役を奥さんが務めます。序盤ははっきりしない言動をする佐村河内ですが、見ていくうちにとても人間味を感じます。中盤辺りでは、この人誤解されてるだけでほんとはめちゃくちゃ可哀そうなのではないかとも思います。そう思わせるのはこの作品で出てくる新垣隆氏の行動です。ファッション誌でポーズを決めて載っていたり、音楽番組でゴールデンボンバーとともにゴーストライター問題を弄るようなパフォーマンスをしたりと、それを悲しい目で見る佐村河内と一緒に見るとなんて悪役に見えるのだろうと感じます。森監督は新垣氏に突撃して話を聞こうとしますが取材を断られるなど完全に自分を佐村河内擁護派にさせるのです。

 

またここまで国民の笑われ者になった夫を支える妻の感情も垣間見えてきて、その二人の仲に存在する純愛ストーリーを見ているのではないか、とも思います。お互いの愛を確認するシーンは感動的です。さらに家にやってくるメディアの報道姿勢なども考えさせられる瞬間でした。佐村河内の前ではしっかりと頭を下げ、「あなたの意志を伝えたいんです」と懇願するメディアが最終的には真逆ともいえるものを放送する、というメディアリテラシーの観点でも重要なものを映しだします。

 

そしてこの作品のキャッチコピーである

「誰にも言わないでください。衝撃のラスト12分間。」

にも書かれているラストが訪れます。

(個人的にこの配給会社が付けたようなコピーなどうかと・・・)

 

上映終了後、僕はここまで思っていた擁護のことだったり純愛だったり対メディアだったりといったことがあっけなく崩壊しました。ここでまたこの映画のタイトルを再び考えました。もしかしてこの映画、全部嘘?フェイクドキュメンタリーの"FAKE"ってこと?森監督の手のひらで踊らされただけなのか?ここは見る人それぞれでいろんなことを思うと思います。それでいいんでしょう。多分。

 

なんだったんだと家に帰り、いろいろ監督について調べていると、監督が以前から言っていた。「二元論への警戒」ということばを見ました。善か悪か。正解か不正解か。二つに分けてしまうことが非常に危険で、その中間の曖昧さを許容することが大切である、と。監督はこの映画で佐村河内が善人か悪人かなんて断定したり、引いてはこの映画がヤラセかノンフィクションなのかを決めつけたりすることを考えて作ってない。この曖昧さを考えさせることが大切である、と伝えたいのでしょう。また「すべての表現は主観」とも発言しています。全くもって中立なものなど存在しない。人間が作るのだから。だからこの映画を真に受けることさえ違う、ということなのです。

 

考えることは辛いが、思考停止は負け。そんなことをこの映画を見て思いました。