自分はどれだけ人のために

犠牲になれるだろうか?


その答えは、

そのまま自分がしてもらえる多さになる


自分が人を救わないのに

救われるわけもないよね

何様?って話だから


それなのに人間は

あーしてくれない

こーしてくれないって

いっつも希望ばかり


1つの小さいな例を話すするなら

私は今まで一度も

落とし物が出てこなかったことはない


理由はシンプルで簡単!


因果応報だから

運なんかじゃない


自分は当たり前のように

見つけたら警察に届ける

時間も労力も惜しんだりしない

それが当たり前に出来る


この世界は実にシンプルに作ってある


原理原則と言う言葉があるけど

まさにそれ!にただ従っている

悩むこともほぼない


だって、

原理原則は決まっているのだから

その物差しで決断すればいいだけ


自分がどうかで考えること基本には

原理原則を置いた方が絶対にいいよ


例え自分が痛むとしても

それは必ず必要な事で

すぐに大きな成果として

自分に戻ってくる


人間なら分かると思うんだけ...


投資の考えと似てるね

投資やってないのに配当は貰えない

宝くじも買わないなら当たらないよね


しがみつくことも

執着も全く意味がない


どうせ死ぬ時は持っていけないんだから

某ブランドのバッグも

とてつもないダイヤも

あの世まで持っていけない

持っていった人を見たことも

聞いたこともない


さっきも書いたけど


人間の多くは

心に

人より「優位」でありたい

人より「利益」を得たい

と思っている


そのくだらない打算が

そもそも幸せの邪魔をしてる事は

ハッキリ言える


まず足元をみてみよう

自分がして欲しい事を

自分はどれだけ他人にしてるだろうか?


自分を特別だと思いたい気持ちは分かるけど

ほとんど人間は生きている事も

死ぬことも多くの人に知られることはない


だから

せめて自分の周りの人にくらいには

誠実に接していたほうがいい


それから


人間関係で長く悩んで居る人は多いけど

小さい小さいコミュニティに居るから

おかしな気持ちになるんだよ


逃げていい

自分を傷つけたり

周りを傷つけてしまいそうなら

そこを離れるべきだ


君は動物園の象🐘じゃない

動物園の象はね

本当はあの鎖を切れるんだよ

でもなぜ切らないか知ってる?


小さい頃に

鎖を切る事ができないと思い知るからだよ

殴られたり、とても嫌な事をされながら

「逃げられない」と思い込ませている

人間がね


本気を出せば

人間なんて簡単に殺せるし

鎖の簡単に切れるんだ


自分を檻に閉じ込めてはいけないよ

洗脳されてはいけないよ


よく身体を見てほしい

何か出来ない?

動くものはあるんじゃないかな


執着しないこと

思い込みを捨てること

それが道が開けるアクション