水を飲む
ヨハネ4章14節
「わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。
わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」
イエス様は、水を与えてくれる方。
与える水を持った方。
それをへりくだって求め飲めば、
「その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます」
と約束してくださっています。
この方は、約束を守られる方です。
なぜなら、わたしたちの罪のため逃げることなく十字架で死んでくださった方だからです。
ここに、本当の愛があります。
三重の福音(ゴスペル)(チョー・ヨンギ先生)
第3章 三重の祝福 「五重の福音」とは、新生の福音、聖霊充満の福音、 癒しの福音、祝福の福音、再臨の福音をいうが、これ は聖書の主要な五つの主題でもある。この五つの主 題はキリスト教信仰の始めと過程と結果について扱 っており、結局信仰生活の全過程を説明している核 心主題になるのである。 |
と教理(Doctrine)であれば、その理論と教理を実践する 実際(Practice)と適用(Application)がなければならない。 実際に適用がない理念は机上の空論に過ぎないためで ある。このような福音の適用が「三重の祝福」である。 「三重の祝福」は救いのある一面だけを強調したのでは なく、私たちの霊、魂、肉にかけて、人生のすべての領 域に適用させようとする全人的救いの図式的表現である。 は神様の御言葉通り霊的に死んでしまった(創2:16、17)。 霊が死んだというのは、神様から分離されたという意味 である。神本主義から、人本主義に転落した結果、人間 は神様があらかじめ備えてくださったエデンの園で、信仰 と従順をもって生きる代わり、神の不在の世界の中で、人 間の制限された手段と方法と知恵によって、生きるしかな くなったのである。アダムとエバが堕落したことによって地 は呪われ、いばらとあざみを生えるようになった(創3:17、18)。 これから始まって今日に至るまで人間の人生にのろいの いばらとあざみが生えていない所がない。人類は科学文 明を発展させ努力しているが、家庭と社会、世界の中に 憎しみのいばら、不安と恐怖のいばら、挫折と絶望のいば らが生え、更には死のいばらが生え、人間はその苦痛に よって身悶えしているのである。最後に、アダムの犯罪に よって、人間は死んで土に帰るしかない有限な存在になっ た(創3:19)。死と死に至らせる病が人間に近づけるように なった。 ちの罪と咎を代わりにあがなうためであった。十字架の 上でイエスが「完了した」と叫んだ時、私たちは私たち のすべての過去、現在、未来の罪を赦され、まるで一 回も罪を犯したことにない人のように正々堂々と神の 前に立つことができる法的資格を得るようになった。 また、祝福の源である神の子が私たちの代わりに、 呪いを背負い、血を流すことによって、のろいの力がな くなり、憎しみ、不安、焦燥、恐怖と絶望、挫折と死、 罪責、定罪などすべての刺が除かれた。そして心の 中に平安の川が流れ、人生の中に祝福の川が流れる ようになるのです。アダムの堕落によってもたらされた 肉体的病と死もやはりイエスのあがないによって、完 全に回復された。これから私の肉体の残りの生涯を生 きる間、イエス・キリストのあがないに立脚して、私たち を、破壊する病に対する治療と健康の回復を、画然とし て主張できるようになるのである。またキリストの中に いる人は、その肉体が復活する命の種を得るようにな った(Ⅰコリント15:42~45)。
1. 「三重の祝福」の意味 「五重の祝福」が私たちの信仰のための理論(Theory) |