最初この人を知ったのは昭和30年代半ば和歌山市では大きい宮井平安堂
という本屋の片隅で奥様と交代でショウーケースで切手販売をしてました。
  また富山か、秋田かその辺でも出店を出していたようで、その出店から奥さん
への「金送れ」等の電報封皮も残っております。
  和歌山の本屋が休みのときは、奥の和室の部屋にテーブルを並べて販売を
やっておリました。当時の記憶では私は公園とか、観光の銘版付単片をカタログ値
1.5倍~2.0倍で購入して、沖縄那覇市の収友M.N.にせっせと送ってました。
  やがてJPS和歌山支部が発足して横の情報が得られるようになり、機会を
見つけては数人の団体で下津町の自宅にお邪魔しました。
  勝手に引き出しからストックブックを出し値段の記入ない切手やエンタを自由に
引き出して(最初は合計金額がいくらになるか、想像もつかず不安だった),
後から小さい納品書の用紙に特徴あるカタカナ文字で品物を細かく記入して、金額は
それこそ独断でした。
 しばらく通えばその癖もわかってきましたが、最初のころは合計金額がいくらに
なるか、ドキドキでした。
 しかし、物は豊富でうぶな物が沢山ありました。
 最初に切手商になる前の勤め先への郵便物を紹介します。
  差出人から判断すると或いは、既にセミプロだったかもしれません。
             (続く)
 
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     切手:東郷切手帳 E3,E1エッジ
     消印:渋谷/昭和16年6月1日/后4-8