ウズベキスタンの旅 第1日

 

神経も体力もすり減らした散々な一日。

 

2、3カ月前から計画したウズベキスタンの旅(成田→インチョン→(ウズベキスタン)タシュケント→ヒヴァ→ブハラ→サマルカンド→←(タジキスタン)→タシュケント→インチョン→成田)へ出発~!

 

今日はウズベキスタンの首都タシュケントまで行く日。成田発は昼過ぎで、朝、比較的のんびりと家を出て車で成田に。成田で車を駐車し難なく成田空港に。飛行機にチェックイン、両替を終え出発ロビーへ。

 

ところが搭乗予定時刻になっても、、、その内、滑走路がトラブルで閉鎖中とのアナウンス。何時出発になるかは分からないとのこと。インチョンでのトランジット時間は2時間と長くはない。イライラ、イライラ。インチョンでの乗り継ぎはもう無理となったころアシアナ航空の係員に聞くと、兎に角、インチョンに行ってくれ、そこで次のフライトorインチョン泊まりなどについて係員から話を聞いて欲しい、、、

 

結局3時間近い出発遅れ。

インチョンに着くと、チケットを2枚渡され、カザフスタンの首都アルマティ行とそこからのタシュケント行。

 

 

(インチョンからカザフスタン・アルマティに)

 

先ずはインチョンでのアルマティ―行へのトランジットで一苦労。時間は無いし、パスポート、手荷物チェック、とても遠い搭乗口、、走って、走って何とか間に合った。

次のアルマティでのトランジットも冷や汗もの。

 

飛行機を降りてから次のタシュケントへの出発は20分後。通常だとアウト。どこに行っていいのかわからないままに駆け足状態で進むとinternational connectionというところが出て来たのでそちらに進むと、デスクがあり、貰った予約票をチケットに変えてくれた。その後パスポートチェック、手荷物チェックを終え、諦め半分に搭乗口に着いた時刻は飛行機の出発時刻。

ところが何とそこで飛行機の出発遅延があり1時間以上待たされ、ついに同行者の怒り爆発。「何故成田→タシュケント直行便を取らなかったのよ!」これが一番疲れる。

 

結局、タシケントへは午前1時過ぎに着陸。

 

(飛行機の遅れに苛立ちながら待つ)

 

今夜のホテルには成田にいる時にチェックインが遅れる旨メッセを入れていたが、それよりかなり遅れる。小さなホテルだが玄関は空いているのか?連絡しようにもネットがつながらない。飛行機を降りる間際なって、隣に座っていた中央アジア人らしき人に、一寸したことから話をし、ホテルのへの連絡をお願い。ホテルへの連絡は、深夜の所為か、スムーズに出来なかったが、彼は入国審査の間も色々とやってくれて、結局ホテルへの連絡が済んだ。一安心。名前も聞かずに別れたが、嬉しさが身に染みる。多分一生忘れない。

 

入国審査が終わって、後は両替(両替は日本円は滅茶弱い!。日本円→スム(ウズベキスタン通貨)@タシュケントより日本円→USドル(成田)→スム@タシュケントにすべきだった。)。

そしてSIM (Beeline)購入し、そこでタクシーアプリYandex Goのアクティベーションをして貰う。日本で何度もトライし上手く行かなかったYandex Goが無事に入り、胸を一撫でした。

 

機内預かりの荷物は既に循環ライン上には無かったが無事に受け取って、タクシーアプリで呼んだタクシーに乗り込み、ホテルへ。

 

(日本円は滅茶弱い!)

 

到着は午前3時過ぎ。ドアを叩くと最初、反応なくヒヤリとしたが、少ししてドアが開き、寝ぼけ眼のお兄ちゃん相手にチェックイン完了。

 

今回の旅の苦労の全てをこの1日に詰め込んだ感じの1日であった。

 

機内食

  

 

その道で名だたるであろう、とある美術館長による「歌川広重の名所絵の主題と手法」という名の講演を拝聴する機会を得た。

理解力欠如老人としては話の本質を理解出来ようもないが、「誤解も含めて、拝聴しながら思ったことなど」の一部を備忘録として書く。(話としては、、舶来プルシアン・ブルー導入、遠近法、などなどもあったが、、、)

 

歌川(安藤)広重の話は、かの有名は葛飾北斎との比較で進められた。

 

北斎は

大胆な構図、強い視覚的インパクト、誇張した動きや迫力ある波、山で、力強い自然を表現、平面的で、劇的な風景で、、、、(と言ったかな?)

(私)ふむふむ、そうだよね、理解出来る。表現したいところを強調するって、ロマン主義的なのかも知れない、でも、一枚の絵に同じレベルの高さから見た人々と高い場所から見た人々が一緒に描かれてるものもあったりして、キュビズム的なところも、、、何はともあれ、全体的に実に現代的だな。

 

一方、広重

旅人や庶民の目に映る日常的風景を、人と自然を融和した形で、、、、

(私)うん、うん、そんな感じ、そんな感じ。そして写実的だよね。普通の人が先ずは描きそうな構図かな、、

 

季節や天候、雨、雪などの空気感も巧みに表現し、情緒豊かに、叙情的風景を、、、

(私)えっ、そうなの、言われれば確かに。一瞬の風景を切り出し、例えば強い雨が刺さる何とか言う名前の絵などは風景が色を失ってるし、、絵に無知な老人が思ってた単純な写実派ではなくって、光や空気感を大事にした印象派、的なんだ、へ~。(翌日に知ったことだが広重の絵は印象派に影響を与えたらしい)

 

講話の一部はそんなところであったかと思うが、広重は40年近く北斎より生まれが遅いらしい。そして北斎の劇的過ぎる、わざとらしいなどの描き方を嫌って、しっかりとした写実に情緒を描き込んだようであるが(←間違ってるかも)、、、

 

私の感覚からすれば、40年近く早く生まれた北斎がより現代的な描きを行っていたって、、北斎はやはり天才だって改めて思うに至る。

 

一方、広重の絵、美術館長の説明がとてつもなく勉強になった。それは美術関係者には常識なのであろうが、素人の私は感心しっぱなし。単なる写実的風景画って思っていたら、大間違い。とても奥深い表現がなされた画なのである(らしい)。

もし、広重の絵(版画)を見る機会があったら、食い入るように画の奥底まで覗いてみそうである。

 

そんなかんなで、少しばかりだが絵画(浮世絵)についての知識を少しばかり得た感じで、何となく画を見る力が少しついた、成長したな~なんて思ったら、背筋がまっすぐになって来た。

 

と言いながら、もし明日にでも美術館に行ったら、、、、

 

この絵、10万円位なの? ふ~ん、そう」

「この絵1000万円位? 素晴らしい絵だ!」

「この絵1億円位? やっぱり傑作は違うね」

というのが関の山。

 

凡人はつらいというか、、、いや凡人はそれで良い、何しろ凡人だから、、、。

宇宙SF映画「プロジェクト・ヘイル・メアリー」観賞をした。

(久々の投稿、、面白味もないけど、、単なる記憶補強のために)

宇宙空間にいる科学者の現在と彼が地球にいた過去の映像が時折交互に出て来て変わる映像(これは、ストーリーを謎解いてくれる面白さもあるものの)、宇宙船の暗い中での全像が掴めない映像、またほんの僅かしか理解出来ものの英語の聴覚情報と日本語字幕の視覚情報の少容量の脳内での交錯により、ストーリーの展開に追いつくことに必死、、という感じで、ハラハラドキドキ感激、感動までは、、、。

 

とはいえ、もし私自身がその科学者のような立場にたったら、どう行動するのだろう、、生物とは思えないような異様な姿をした生物に敵対することなく、助け合い、最後には自分の命を顧みず、異生物(異星人)を助けようとするのか?などと考える機会となった。自分とその異星人のみの孤独の世界、、ここでは協力して物事の解決を図ろうとするのは間違いない、、、が、協力し合って来たとはいえ異生物を自分の犠牲の上に助けるかというと、?、?、でも、極限の孤独の世界で助け合ったら、ひょっとしたら、私の様な自己中心的な人間でも、、、、。

 

さらに、そもそも片道切符の宇宙船に乗れるか、、、これはどう考えても自分には無理、、幾ら名誉を与えられようと、おだてられようと。でも多額のお金を積まれた時、妻子からの強い要請を跳ね返すことが出来るか???う~ん。

 

ストーリーは(←???ボケがひどくなった老人の解釈で間違い甚だしいかも)

地球の生命の滅亡の危機に対処するために、嫌がる科学者を強制的に十数光年先の宇宙に、しかも地球への帰還不可という宇宙船で送り込む。科学者は宇宙で同様な目的で来ていた異星人に遭遇、友となり、協力し、問題解決のための「微生物」を入手。そして異星人の予期せぬ助けで地球への帰還の途につく。が、異星人の命の危機を察知し、帰還の希望を捨て、「地球救済用の微生物入り容器」を地球に発射した後、異星人の元へ助けへと向かう。

 

この映画が訴えたい幾つかのテーマの内、大きな一つは、、、自分とは容姿、言葉、生活環境、考え方など全てが異なる「生物」に対して、友情を構築し、その生物の命のために自己犠牲も顧みないという「美しさ」(?)を今の世界に期待したいってことなのかぁ????

熟年学校の館山での講義終了後、熟年仲間と館山城 城山公園を観梅散歩。その後、千倉 白間津でお花畑に埋まって、その後、ちくら潮騒王国に立寄り。

 

観梅、、、それなりの開花状況。だが梅には華やかさが今一つ、、それが原因なのか、仲間は観梅はそっちのけで会話に夢中。

いや、原因は梅ではなく、梅より映える仲間への恋心なのかもしれない。

そこで一句、、、、

春うらら 梅もそぞろに 恋の花*

 

館山湾が一望される頂上で記念撮影。

 

出来た写真は熟年学生たちの現在の容姿を正確に捉えている。しかし人の心の内は写さない。熟年者は自分はまだ若いと思っている。

そこで、その心の内にある彼らの姿を生成AIに推測して貰った。

 

熟年者の多くは、写真を撮られる時、自分自身はこんなに若い容姿をしてると思ってるんだと、、考えたら愉快になった。

 

*春うらら こんな気持ちで はいパチリ*

 

生成AI写真を見て、、、、

確かに今は髪は白く、しわだらけのじじ。でも、気持ちは、、写真の若さの時と変わらない。

あの時も今も、女性が近くにいると、ドキドキ、ドキドキ、胸ドキドキ

 

(千倉 白間津お花畑)

熟年学生仲間7人で館山で受講した後、水仙で名高い“をくずれ”という場所に立寄った。

 

水仙は時期的に僅かに早くて最盛期のまだ7割程度の開花かな?って感じ。その分、花は実に初々しく、また瑞々しく、その上風もなく日向ぼっこ日和って感じで、多分この上ないであろうタイミングであった。

 

をくずれは傾斜地で、水仙の花と葉で一面の白と緑に染まっていて、そこを皆でのんびりと登って行く。

 

 

一面の水仙の中、何カ所かにポツン、ポツンと河津桜が大きな傘のように立っている。その桜は晩冬の水仙の中に(次の季節の始まりを告げるように、)数輪ほど薄桃色の花をつけている。今は寒い冬、、しかしその先に微かではあるがもう春が始まりつつあるよ、良いことがあるよって、元気にさせてくれる。

 

しかし、その移り変わりの僅かな知らせが、何もせずともいつの間にか月日はめぐる、、、私はこれで良いのかって心配になったりもする。が、出来る今、花の美しさや春の温かさや風の匂いや、、を体に心に焼き付けておこうっていう気もして、記憶に残そうと「うた」にもなっていない「うた」を詠む。

 

紅花は 一輪なれど をくずれの 水仙の野に 春を点す

 

 

花の中に皆集まって写真を撮った。

 

仲間は皆熟年男女。皆、大人しく振舞う人々である。それが写真を撮るのに腕を組んで。何の抵抗もなく、自然に。水仙の美しさやこの日の陽気に誘われたのかも知れない。ひょっとしたら、近い内に卒業の時期を迎えることの淋しさがあって、それが腕を組ませたのかも知れない。皆はどうかは知らないが、少なくとも私には淋しさがある。

淋しさのひとつも出ていない「うた」

 

水仙や 美はここにも 七つあり

 

 

 

何はともあれ、素晴らしい想い出となる一時であった。熟年学生の仲間に感謝!

 

 

 

 

9月28、29日 第17、18日 パリ→(上海/羽田)→自宅

 

今日夕刻の便で上海経由羽田に向かう。夕刻まで時間があるということで、ホテルより一旦ドゴール空港に行き、荷物を預けてパリ市内見学し空港に戻ることに。

 

この日をパリでゆったりと楽しみたいと思って急ぎ朝食&チェックアウトし、ホテル前のバス停に着いたものの、9時半のバスを逃し10時5分のバスに。時間のロスに奥方、ブツブツ。

空港バス停に着いて、多少慣れた空港内をすいすいと進み、荷物預かり店へ。

 

(朝食)

 

今朝、空港に着いた客であろう、10数人が列をなして受付に並んでいる。少し待てば順番が来るだろうと思っても遅遅として進まない感じ。受付の人は1人。客は色んな国の人で、中には我々のようにフランス語ダメっていう人もいるだろうし、そうスムーズに処理出来ないのかもしれない。

待ちにいらいらしている奥方はExpressという受付の方に行こうという。でも、チェックイン(荷物入れ)は荷物1個で何とプラス20€!(チェックアウトは状況を考慮してかプラス5€)。我々の場合、預かり費用にプラス60€! それを説明し諦めて貰ったがご機嫌は宜しくない。そうして、最終日の重要な時に45分程ロスが加わってしまった。

 

次はパリ市内1日乗車券購入。1階に下りて行くとチケット自動販売機の前には大勢の人だかり。荷物預かりで待っている間にチケットを買っておけば良かったと思ったが後の祭り。

でも何とかチケットを購入、結局パリ中心部に着いたのは12時半頃になった。

 

当初、久し振りにエッフェル塔に登ろうかと考えていたが、ご機嫌斜めの奥方が「もうエッフェル塔は良い」と言うので、シャンゼリゼへ。余程シャンゼリゼ通りが好きなのであろう。

凱旋門の周りは、約3週間前と違って、囲われていたフェンスは撤去されていて、普段の凱旋門となっていた。そして、凱旋門の横に人の行列が。何だろうって思ってみるとその行列は凱旋門の上に登る人の行列。へぇ~、登れるんだということで早速列に並ぶ。動きが悪くて時間がもったいない気もしたが、凱旋門の片側の壁面のレリーフを初めてじっくりと見る機会ともなった。

 

(凱旋門横の列)

 

レリーフは勝利の女神がフランス軍を導いているレリーフで、フランス国家のタイトル「ラ・マルセイエーズ」と呼ばれているらしい。

(レリーフ、、勝利の女神がフランス軍を導いている)

 

30分近くが経って漸く入口の受付近くになった、その時、入場チケットを皆持っていることを知り、近くの人に尋ねると地下に売り場があるとのこと。階段を駆け下り向かうと何とまたチケットを購入する人、20~30人の列。ギブアップである。またロス発生。今日は運が悪い!

 

諦めて、ランチでもしようと店を探しながら通りを歩いていると、庶民向け風の賑わっている小さな店を見つけ、奥方の大好きなムール貝とフィッシュ&チップスとビールでランチ。お腹にものが入ってご機嫌を直した感じの奥方の要望でメトロでヴァンドーム広場へ。

 

(庶民向け風のレストラン)

 

(ムール貝とフィッシュ&チップス)

 

広場ではとあるホテルの玄関の前に人だかり。警備員、ホテルの従業員らしき人もいる。カメラ(スマホ)を手にしている人も。どうも有名人がそのホテルから出て来るのを待っているらしい。ひょっとして超有名人の顔でも拝見出来るのではと、ミーハーの一員として、人だかりの中で待つことに。一人格好つけた女性が出て来たがその人ではなさそう。20分位待ったものの、それらしき人は出てこず、その場を離れた。このヴァンドーム広場で奥方は宝石類のウインドウショッピングを楽しむ予定だったのに、またまた時間をロスってしまった。で、20、30分、手も足も出ない宝石類にため息をつきながら、また忙しげに見て回り、ヴァンドーム広場を後にした。

 

(この方は有名人ではなさそう)

 

  

(ウインドウショッピング)

 

上海への飛行機は21時20分。時間的余裕は十分あるが、国際線ということで早めに戻り、17時過ぎには空港に着いた。荷物を引出し、航空カウンターで少し待ってチェックイン。

 

飛行機は定刻に離陸、機内食食べて、上海着陸。上海ではラウンジでビールを飲んで、ラーメンを食べて、また上海を定刻に離陸、機内食食べて、羽田に無事に着陸。

 

(パリから一旦上海へ)

 

 

 

 

(機内食)

 

羽田からバスに乗って地元の町のバスターミナルに23時10分頃着。ところがタクシー乗り場には1台もない。さもありなん、田舎だから。でも電話で呼べば良い。タクシー会社は3社程ある。1社目、、電話に出ない。2社目、3社目からはもう遅いので配車不可とのつれない返事。

ターミナルから家までの距離は約5Km強。走れば行けないことはない。といっても靴はジョギング用でもない。といってもここに泊まるわけにはいかない。ということでバスターミナルの待合室に奥方を置いて走ること40分。自車に乗ってターミナルへ戻って、、結局、翌日30日午前0時45分頃に帰宅、ヨーロッパ7ヶ国レンタカーの旅、約3400Kmドライブの旅を無事に終えた。

 

(全ドライブマップ)

 

(土産)

 

ガソリン給油や支払いで、また駐車場の料金支払いや出庫で、毎日のようにスムーズに行かずに、更には燃料入れ間違いという大きなトラブルを起こしながらも、その場にいたフランス人を主として多くの国の人々に助けてもらいながらのハラハラドキドキのチャレンジングでエキサイティングな旅となった。

 

高速道路を120~130Km/Hrで疾走し、所々に家が点在する静かな田園を抜けや尖塔の教会がある小さな村を抜け、多数の美しい場所を訪ね、多彩な料理も楽しみ、歴史なども考えることが出来た旅だった。

 

そして、幾つかのゲストハウス、B&Bで、オーナーの手作りのヨーグルト、蜂蜜、パウンドケーキを頂きながら、ジャパニーズイングリッシュ、フレンチイングリッシュ、フランス語、日本語を混ぜ合わせながら、、美術の話、伝統、習慣、文化の話、日常の生活などについての話を、、、短時間ながらも、、、多分、お互いに誤解しながらだとは思うけど、、、楽しんだことも決して忘れることが出来そうにない素晴らしい経験となった。

 

最後に、、帰国後の奥方は今回の旅をきっかけに人間の誕生から世界の変遷についての本を読み漁っている。今回の旅がパリで終わらず更に続いている。そしてそれが次の旅へ駆り立てるのかもしれない。

9月27日 第16日 ブロア→シャンボール城→ドゴール空港→ホテル

 

(走行距離 約230Km)

 

先ずは、可愛い部屋で朝食。オーナー手作りのアップルケーキ、ヨーグルト。穀物4種で作ったシリアル。夕食代20€×2を支払って、チェックアウト。

 

 

(オーナーと記念写真)

 

先ずは近くのブロア城の近くまで行って、路上駐車で少しばかりの外観を見て写真パチリ。

ブロア城はルイ12世が即位した1498年から約100年間、フランスの第1の城だったとのことだけど、時間が無く、入場はパス。

 

(ブロア城)

 

そうして、ブロアの町を抜けて、またまた田舎道を走ってシャンボール城へ。

 

(街を抜ける)

 

(田舎を走る)

 

城に近づくと道の正面にごっついものが現れた。駐車場に車を止め、歩いて行くととても大きな建物。正面に回り込むと、超巨大な白亜宮殿。またフロントヤードでは中世の服を待っとった人による乗馬のデモンストレーションなんぞが行われていた。

 

 

 

 

(シャンボール城 正面より)

 

(デモンストレーション)

 

城館はこのロアール流域で最大、敷地面積はパリ市に匹敵するそうで、またフランスルネッサンスの傑作ともされているそうだ。いくつもの塔が立っているが中にはイスラム風の塔もある。当時の権力者の贅沢そのもの、庶民から搾り取った税金によるものと思うと、素晴らしいって感心してもおられない。

 

 

 

 

 

(フロントヤード)

 

(バックヤード)

 

館内見学、、奥方は日本語オーディオガイドを借りて回った。

ここでの目玉はレオナルド・ダ・ヴィンチの発想が取り入れられているらしい、人がすれ違うことなく昇降出来る二重らせん階段。そんなの私でも出来そうな気がするけど。

この城館にも色んな豪華な部屋があったが、余りにも多過ぎて何がなんやら記憶に残らない。

その後、ジオキャッシングの関係もありバックヤードにも足を延ばしたが、城が広くって疲れた。

 

(2重らせん階段とヴォールト天井)

 

(ルイ14世の劇場)

 

(バックヤードからの眺め)

 

駐車場からの出庫はここでもスムーズにはいかなかった。駐車料金は事前処理したが、何故か上手くバーが上がらず、クレジットカードをかざすなど何度かしたらバーが上がった。損はしてないかとは思うが、、、。

 

これで観光終了、、、田舎道と高速で一路、ドゴール空港近くの入国時に泊まったホテルへ。

パリ市内に無事に入ったもののインターチェンジで高速を少し早く下り過ぎて、パリ市内の一般道を走り渋滞に巻き込まれたり、ホテル近くのランドアバウトで出口を間違うなど

小トラブルは続いたが、何とかホテルに着いてチャックインし、荷物を預け入れた。

 

(高速をパリへ)

 

(パリ市内渋滞)

 

次はレンタカー返却。その前に、満タン返しなので先ずはガソリンスタンドへ。ここでも給油ポスト番号が分らず、後続の人の助けを貰って何とか精算。

 

さあ、最後の走行。ナビに、レンタカー返却場所は正確は知らないので、それらしき場所を入れて発進。直進距離では短いが、空港が複雑なためか(?)、グルグル回されて5Km位走らされたものの、‘運良く’ナビの指示通りに走れて、返却場所に無事に到着。

 

レンタカー会社のデスクに行くと、外の担当者とコンタクトを取れというので、駐車場にいた青い服を着た女性担当者に鍵を渡した。車の左前の傷は車を借りた時にはついていた、証拠写真もあるっていうと、女性担当者はOK、OKと傷を見もせずにバイバイとなった。

 

何はともあれ、最初の車で小さな傷をつけたり、給油でアルコールを入れるなどトラブルを起こしたが、車両事故を起こすことなく、3700Km(以上?)の距離を無事に走り終えて神(日本の)に感謝。

 

そこからホテルへ、、、バスへ乗るために無料電車CDGVALに乗ってホテルで教えて貰ったターミナル1へ。ところがバス停らしきものは見当たらず。ターミナルにいた人に聞くとターミナル3だというので、3へ引き返した。そこで無事にバス停発見。16日程度前に乗ったバス停である。

 

(バス停)

 

バス停近くにマーケットがあるのを見つけ、奥方は夕食用にサラダとオリーブを買った。バス路線Noは93か27。No93にいた女性に聞くと、ホテルのあるバス停(Le Verger)にはその女性も行く、でもNo27も行くのでそれに乗るかもと。結局、一緒にNo27に乗って同じ場所で下車した。女性はスペインマドリードの人。親戚に会いに来て明日帰るとのこと。

 

そうして無事にホテル着。ホテルでは、また近くのホテルでもアルコールは売っておらず、サラダとオリーブと、昨日買ったパンと奥方が日本より持参した小さなカップヌードルで夕食とした。

 

(ホテル)

 

(夕食)

 

アルコール抜きであったが、無事に7か国ドライブの旅を終えて、最高の気分。

9月26日 第15日 スロン→シュノンソー城→クロ・リュセ城→ブロア

 

(走行距離は約200Km)

 

朝食は大きなフレンチトースト、手作りはちみつ、目玉焼きとジュース。ハムなどはなかったがこれが普通のフランスの家庭の朝食なのかもしれない。フレンチトーストは大きくて、これだけで腹いっぱいになった。

 

(朝食)

 

(でっかいフレンチトースト)

 

チェックアウトの前に30分ほどB&B女性オーナーと雑談。

オーナー制作の造形作品の説明、日本の生活や文化の話、、例えばどのくらいの割合の人が布団で寝るのか?(←年寄りが寝る、国民の50%くらいかなと説明、慶事や弔事の時の服装の色(白黒)、ホテルと旅館(大きい風呂があると伝えた)の違いなどなど。

でも、ひまわりの話、ゴッホの話はこちらの発音が悪くて通じなかった。

 

とても良い時間であった。こんな機会を時折持つことが出来るB&B、ゲストハウス、、素晴らしい!

 

チェックアウト後、朝の会話の中でオーナーが紹介してくれた、10Km程離れた、とても変わった教会に雨の中向かった。

その教会は小さな町の教会と言う感じであったが、中に入って驚いた。こんな協会、初めて見た!である。サイケデリック教会?って感じ。確かオーナーは地元の芸術家が描いたって説明してくれた気がする。

ノートルダム・デュ・メヌー教会 という名らしい。後で調べたらカトリック教会とのこと、カトリックでこんなのあり???

 

(小さな町の教会)

 

(教会内部)

 

 

そこから高速に向かう途中の田舎道でガソリンスタンド発見、給油。その場所にはカルフールがあったのでチョコレートなどのお土産を買いこんだ。

 

その後、30kmほど高速を走り、後は100Kmほど一般道を小雨の中ではあるがフランスの田舎を楽しみながら走った。他の田舎と同様にひまわり畑とブドウ畑が一面に広がっていた。

 

(教会近くの小さな町)

 

 

(田舎を走る)

 

(高速を走る)

 

(田舎道を走る)

(時折出て来る集落)

 

(ぶどう畑)

 

(ひまわり畑)

 

シュノンソー城に到着、駐車場は無料、、Nice!何しろ出庫トラブルがない。

駐車場から両側に背の高い並木の道を歩き、そこを抜けると正面にシュノンソー城が現れた。

 

 

 

 

シュノンソー城は川(シュール)を跨ぐように白い館が立っていて、白鳥のようにもあり、とても人気の高い城。また16世紀の創建から代々の城主が女性だったから「6人の女の城」と呼ばれているらしい。また女性中心の城故、それなりの女性の戦いもあったようだ。

 

(川を跨ぐシュノンソー城)

 

(カトリーヌの庭園とシュノンソー城)

 

折角の訪問であるからと、日本語音声ガイドを借りて聞いた。誰々がどうした、こうしたという解説で歴史を全く知らない私にとっては、その解説には面白味を覚えなかった。

 

勿論、城は美しいし、内部も豪華である。特に気に入ったのは地下にある台所。この場所に立つと、王女などの為に日々料理人が料理をしている姿が浮かんできた。

 

(ルイ14世のサロン)

 

(回廊、、壮麗な舞踏会場)

 

(王の寵愛を受けた女性(ディアーヌ・ド・ポワティエ)の部屋)

 

次に10Km程離れた、もう一つの城、レオナルド・ダ・ヴィンチが住んでいたというクロ・リュセ城に行った。城といっても広い敷地をもつ館ってところ。晩年のダ・ヴィンチがフランス王(フランソワ1世)に与えたれ、イタリヤより移り住んだ館とのこと。

ダ・ヴィンチが実際に絵を描いたり、研究をしていた部屋、、、それを真に目にする、、今回フランスに来て最も良かったと思うことの一つとなった。類まれなる才能を持つダ・ヴィンチ、、少しばかり近い存在となった。

 

(クロ・リュセ城)

 

(アトリエ)

 

 

 

(寝室、、、広い!)

 

(ミュージアム・ホール)

 

その後、館の外の庭(レオナルドの庭園)やミュージアムホールを見学。

そして、駐車場へ。

駐車場を出ようと、出口の精算機でクレジットカードをかざすがバーが開かない。丁度、近くを容姿が悪くない黒人男性が通りかかったので呼び止めて、対処して貰った。何が悪かったのかわからなかったが、兎に角、バーが開いたので助かった。

今回のフランスの旅は最後の最後まで色んな人々にお世話になりっぱなし。メルシー、メルシー。

 

約40Km走ってブロアにあるB&Bに到着。そこは塀で囲まれていて門が閉まっていた。それで門についていた呼び出しボタンを何度か押したが反応が無い。また電話を掛けて呼び出さないといけないのか、嫌だな~と思ってた時、ドアが開いて、背の高い30~40歳くらいの男性が出て来た。オーナーである。

 

(B&Bの門)

 

 

部屋は3室+食堂。とても美しい。

朝食などの説明を受けた時に、夕食の予定が無いので作ってくれないかって図々しく頼んだら、自分たちの料理と同じで良ければ、、1時間で、、と快く引き受けてくれた。

 

夕食はオーナーの奥さんの手作りパスタとサラダ。羊と牛のチーズ。フランスの家庭料理、、素晴らしい経験、嬉しい限りである。

 

 

 

(夕食)

 

オーナーとも色んな話をした。スキーの話。モスクワの話。凱旋門の話。彼の生まれ育ち、妻と知り合った所、パリの近代都市部の話。子供の話(女の子10才?男の子7才、女の子4才)。2015年B&Bリニューアルの話。などなど。

 

このB&Bも今回のフランスの旅の花丸メモリー間違いなし。

9月25日 第14日 サン・シル・ラポピー→ペシュ・メルル遺跡→ロカマドール→スロン

 

 

いつものようにハムとチーズとパンの朝食をとる。

 

 

B&Bの主人に今日はペシュ・メルル洞窟*に行く予定と話すと予約が必要、でも当日予約は出来ない、今日は平日なので朝一に窓口に行けば空きありチケットが取れるかもしれないと教えられた。

 

(*ここは2~3万年前にクロマニヨン人が住んでいて、洞窟の中に彼らの壁画がある。同様な洞窟としてはラスコー洞窟などがあり、それらは保護のために一般人は入ることが出来ないが、ペシュ・メルルは例外的に入ることが出来る)

 

朝早く行ってみるしかないということで、9時前にホテルを出発、3分で到着、チケット売り場に直ぐに並ぶ。順番は3番目。予約等管理パソコンにトラブルが発生していた様子で待たされたが、運良く第2陣10時発のガイドツアーのチケットが購入出来た。

 

洞窟は正に結構大きな鍾乳洞。何とか歩ける程度の明るさがある小道を、懐中電灯を持っているガイドに連れられて歩き、時折停まってガイドが懐中電灯で壁画を照らしながら説明をする。バイソンの壁画や人の手形などなど、、約2万年前にクロマニヨン人が描いたもの。その描写能力に感動させられた。特に奥方は、このクロマニオン人の遺跡に刺激を受け、人類発祥からの歴史に強く興味を抱いたようであった。

 

(ペシュ・メルル洞窟入口)

 

(ペシュ・メルル洞窟カタログ)

 

(クロマニオン人)

 

そうそう、洞窟に入るところで、ガイドの説明はフランス語ということで、日本語で書いた説明書を手渡された。フランス語でのガイドはチンプンカンプン、日本語の説明書もざっと一部に目を通すことくらいしか出来なかったが、壁画を見るだけでも意義深い見学になった。

 

予定より遅れて、11時半、巡礼地ロカマドールに向けて出発。田舎道を走って12時半頃、壁にへばりつく家々と教会が出て来た。日本では見られない光景である。

 

(田舎道を走る)

 

(田舎の中の集落を走る)

 

(崖にへばりつく家々が出て来た)

 

 

(ロカマドール)

 

(ロカマドールは12世紀に初期のキリスト教徒のアマドゥールの遺骸が腐敗もせずに発見されたということで知られる巡礼地)

 

崖の下に向かって行くと駐車場があり、無事に駐車。少し緑に囲まれた小道を上がると石畳の通り(門前町シテ)に出て、巡礼の段入口に。さあ、登るぞって思ったら、奥方、目の前にあった土産屋に入りウロウロ。「帰りにも寄れるから」って説得し、巡礼の道スタート。

 

 

(シテを歩く)

 

(巡礼の道)

 

(巡礼の道)

 

216段の「巡礼者の階段」を上り、教会(サンクチュアリエリア)の中を抜け、時折、キリストの像の祠がある十字架の道を上り、城に到着。

 

(教会の中を抜ける)

 

(十字架の道にある祠)

 

 

(サンクチュアリエリアには見どころが多くあったのに予習不足で見ず終い。反省。)

 

城には入れないらしいが、展望が良い城壁上部は有料であるが歩くことが出来る。

入場チケットを検知器にタッチして、無人の回転ドアを回して入る。奥方はスムーズに入場。次は私。タッチして、ドアを回す。ドアは回った。が自分は未だドアの外。それでドアの内側に入って回転させようとする。が、回らない。その時気づいた、、回す前に内側に入らなければならなかったことを。

既に入場した奥方が叫ぶ「何してるの?早く入って来てよ、早く!」そう言われてもどうにもならない。

入場待ちの列が後ろについていて、焦る。

また、他に入場に失敗した人がいて、「自分も入れない」って言っている(様子)。

後ろで並んでいた列のフランス人らしき男性が「大丈夫、まかせて」って言って(←本当??)、入場係員に連絡、対処してくれた。それで無事に入場。あぁ、助かった~!感謝、感謝。

 

城壁上部からの展望は素晴らしかった。

 

 

 

 

その後、同じ道を通って下山。

途中、先の店に入って、奥方は「ブルーラズベリー」の指輪を購入。店員も「石はアフガニスタン付近です」って言ってて、この地とは関係が無い品物なのに、、

 

駐車場を何とか抜けて、車を少しばかり走らせロカマドール展望ポイントへ。時間的理由で路上駐車し、奥方に数十メートル先の展望ポイントまで行って撮影をして来て貰った。

 

 

 

さあ、これで今日の観光は終了。後は、田舎道を抜け、高速に入り、リモージュという大きな町の北約80Kmにあるスロンという田舎のB&Bへ。

 

(高速を走る)

 

(田舎道を走る。B&Bは間もなく)

 

天気は途中から曇り、更に雨が降り始め、高速を下り田舎道(2、3Km)を走る頃には何と無く薄暗くなった、そんな中でGPSが示すB&Bに到着。でもそのB&B、倉庫のような感じ。まさかこれじゃないなってことで20メーターほど戻り、比較的綺麗は平屋の家の前に車を停めた。丁度その時、家から人が出て来たので聞くとB&Bは最初に行った所にあるとのこと。奥方の顔がにわかに曇った感じ。でも仕方がない。そこに泊まるしかない。と最初の建物の庭に侵入、車を停めると、倉庫のような建物の横の建物から女性が出て来た。そこが今夜のB&Bだ。冷たい雨の中、荷物を持って恐る恐るB&Bに入った。

 

(B&B)

 

え、え、えっ?である。部屋は美術品だらけ、前衛的な絵画、可愛い子供の像(土づくり)、(←オーナーの作品とのこと)、洒落た電灯、置物、本、、、まるで美術館。

(食堂)

 

(休息室)

 

(寝室)

 

夕食は地元の民族料理と地元のワイン。料理について説明を受け、その時Googleさんが翻訳してくれて出て来た言葉を羅列すると、、、

ベリーガード、豚肉、子牛肉、卵、ベリーペースト、イタリアのレシピをパルメザンチーズと生クリームでアレンジしたもので、飾りは私が摘んだ野生のアスパラガスで食べられます、カシューナッツの塩バターキャラメル添え、ガーデンミント。

 

 

 

(夕食)

 

とても想い出深いディナーになった