「悪口」と「批判」は全く違うもので、私は批判はしても悪口は言わない人になりたいといつも思う。それは難しいことだけど、少なくとも私という境を越えて具現したものが悪意ではないよう生きている。自分はなるべく薄い硝子の板が叫ばないように言の葉を押し出しているけど、ホントは人が他人から零れる異音も聞きたくない。人を傷つける以外の何でもないそれらの音色は、森の中のサビた空き缶のようにその場に埋もれ時間によって融けるものではないから。
イヤホンから流れるデリコに合わせて

夜のカーテンが降りた街の、日曜日の閑散とした大通りに

靴音を響かせた


私だけが知ってるコラボレーションに

かすかに興奮した
「虹が見える」
彼が彼女にメールした。



なのに、
彼女は窓さえ開けなかった。



同じ景色が見える距離のふたり。




「月がきれいだよ」
たとえそれをメールで送っても


違う景色を見ている僕ら。

同じ景色を見れるほど僕らは近くにいない。



着信2回、メール5回。
全部無視した。


このまま無視していたら
終わってしまうような関係なのか
このまま無視していたら
終わってしまうような距離なのか

僕たち。

私の道行きは白地。

擦り剥いた膝から、切った指先から、打ちつけた額から滴り落ちる血が道程を示す。

失った血液のかわりに諦念と罪を吸収し、口から生を吐き出す。

右側から差し伸べられた手を無視し、頭を撫でようとする手を遣り過ごし、左側から袖を掴む手を払う。

私がひとりであることを証明できるのは、ただ私だけだった。

地に落ちた血が乾き、風化し、その匂いが消えるまで。

血に染まる地が乾き、風化し、その道が途絶えるまで。
階下では不幸が息をひそめて見上げていたし、頭上からはいつも虚無の気配を感じていた。

僕の 六畳一間は僕専用のシェルターで、薄い壁や天井、剥き出しの床板は頼りのない相棒だった。

窓の外ではカラスが僕を見張っていた。

目を合わせるのが嫌でいつ もカーテンを引いていた。僕は自ら光芒を拒絶した。

たまにどこかから聞こえてくるピアノの音だけが見えない蜘蛛の糸のように僕を救い上げようとしていた。

けれど僕はそれを見つけるだけの光も、それにしがみつこうとするだけの気力も持ち合わせてはいなかった。

ただ救いが存在するという事実だけを僕は 僕の出来る限り受け止めた。

生まれ落ちることを断固として拒否する胎児のように、

僕は自分の身体を極力小さく丸め込んで迫り来る絶望と不幸と虚無から心を守ろうとした。

目を瞑り口を閉ざし息を殺したけれど耳だけは絶対に塞がなかった。

僕は僕に救いの存在があるということ自体を救いとして四方の敵をやり過ごした。

僕の心臓と脈と呼吸とそしてたぶん裸の心に残された本能も、生きることに対して貪欲に執着した。

僕は時折自分を鼓舞した。

まだ絶望は壁を破らない。

まだ不幸は足元を浸食しない。

まだ虚無は天井から漏れ出ない。

まだピアノは僕の耳に救いを届ける。



卵の殻の内側みたいな六畳一間のシェルターで、僕は今日も、生きていた。