バツイチのブログ

バツイチのブログ

令和元年に26歳の嫁と離婚した20個上のおっさんの人生を書く。
なんでも、正直に誰にも分らないように。僕がどう思い、どう考えていったのかを。

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実は、僕は過激に思うことがある。


今の時代に男尊女卑なんてない。


女尊男卑時代に入っていると考えている。


なぜ、男尊女卑は未だにあるというなら公共の交通機関に女性専用車両があるのか。


痴漢被害はたしかに最悪だし、やる男も気持ち悪い、汗臭い男も嫌いだろう。


だが、であれば、男性を隔離するために男性専用車両を作った方が良いかもしれない。


一番難しいのはあるときに性別を平等化して、支払いなどの時に女性はと話すようになったことを女性同士でテレビで話し合っていけない時代になったことだ。


1年に12回の記念日。

 

月に1回子供と会いますが、色々考えさせられます。

離婚を既に理解しているのではありますが、当然消化していないようです。

 

離婚には自分のことを考えると後悔はないですが、子供の発言や表情を見ると話しは別です。(´;ω;`)

 

今は別の人生で既に4年から5年が経過しましたが、お互いの人生を真面目にふざけて明るく生きてると信じてます。

月に一回は永遠に懺悔すると決めて別れました(ちなみに不倫、暴力、カネの問題ではありません)が、彼の気持ちを知ることで胸が張り裂けそうになることもありました。。。

 

ここの書き込みを見ることはないと思いますが、懺悔を投稿させて頂くことを許してください。(´;ω;`)

 

彼はおそらく戻ってほしいと思っています。でも同じ結果になることをお互い知っています。

彼はおそらく、もっと甘えたいのです。でも、時間が限られています。

彼はもっと遊びたいと思っています。いつも仕事があると嘘をついています。

彼は僕がさみしくないか心配しています。だから僕の友達に会おうとします。僕の笑顔を確認します。

彼はもっとおもちゃが欲しいのですが、それは僕の気持ちを判断するため。わがままを言って束縛をしたいのです。

そんな感じの毎月1日間ですが、僕は彼のぬいぐるみになる日です。彼自身が大きくなれば喧嘩相手。彼が笑うためだけにささげたいとおもいます。

 

 

年に12回の記念日を。

今は1ヶ月に2回会うね。魁。

 

パパは本当に君と会いたくて、しかたなくて、最初の2ヶ月かな。本当に泣いた。申し訳なくて。

 

それでも、パパは出ていったんだ。パパね、君の幸せを奪ったんだと思った。

でも、パパは悲しいけど、それを選択するしかなかった。それは、自分の体調のためでもあったし、君に残すべき事業に対し、「サポートしてほしいという欲求を捨て、一人でやりきるしかない」という環境にすることしか自分の幸せ、魁に残すことは見えなかったからだ。

 

君に会いに行くと、君は本当に満面の笑みでパパという。その2文字が世界最高の言葉で、その時の顔をずっと思い出して、泣いていた。

 

君の小さい時の寝顔を毎日見て、次の日の活力としたものがなくなった。だから、パパは強くならなければならないと思って、魁を意識しない力を手に入れようとした。でも、2週間に一回、崩れそうになる。

 

君は、一緒に会って、遊んで、帰りに帰りたくないというわがままを言わないようにしてる。

おもちゃ以外のわがままは言わないようにしてる。

さみしいという言葉を言わないようにしてる。

パパはなぜ、ママといないのと言わないようにしてる。

君は、ママとの楽しい遊びの話をなるべくしないようにしてる。

君は、疲れていないのに疲れているようにして、抱っこをせがむ。

帰りのタクシーは眠たいふりをして、抱っこをせがむ。

帰りは君の家には僕は入れない。だから、一階でお別れする。

 

階段を上るために僕の前から消えた後、3回戻ってきて、バイバイする。

 

パパ先にいってよと僕が見えなくなるまで戻ってくる。

 

パパは先にいったふりをする。

 

こんな2週間に1回の日曜日の夕方。月曜日は役員会だ。でも、その心への圧力をかけることで君の痛みを少しでも理解できるような気がして、全ては僕のためなんだ。

 

僕は親として、何も足らないだろう。

 

でも、僕は、魁にこの選択は正しく、僕が守るべきものはまた別の世界にもあるのだと思うと大人になったとき、言ってくれるだろう決断をしたつもりだ。

 

でも、2週間に1回、君を愛しすぎて倒れそうになる。

 

君に会いたくて全てを捨てたくなる。

 

この心が折れそうなほど愛した君を僕は残してきている罪悪感と会社の経営は共存させなければならない。

 

強くなろう。君に尊敬される人間になるにはそれしかない。

 

お金のためではないんだ。俺の生きざまをしっかりしないと君に会う権利はいつかなくなるだろうから。


相手を本当に思うと離婚できる。

必ず、いい話が相手にはくる。

まだ、26歳。

だから離婚する。
離婚後、まだ大事にしていた事を知った。
僕から切り出した。

この考えは親からもらった大事な感覚。
自分より相手の幸せ。

聖母は自己犠牲。

でも、ただ器が小さいだけだ^_^

それでも、被害者ヅラできない。

こっから、毎日心配する親がいる。

だから、毎日を少しずつ生きる。

息子に会いたい。

誰にも言えない弱さをちゃんと書こう。

ビデオを毎日ではないが、息子宛に撮影してる。

死んだら、親友が届けてくれる。

金は誠意。信用は金にでる。

だから、頑張る。ゆっくり。

僕はIT。

 

経営戦略室が長かった。独立して8年。でもずっと社員を持たず、親友たちの事業の株を持ってその企業が大きくなり、上場したり、売却したりで5年間で100倍になった。

 

これは僕の実力じゃなかった。これは、親友たちの努力と結果。これは、彼らのものは簡単なことではない。

僕はただのコンサル。一点だけ僕の力があるとしたら、「人を見る目」だけかもしれない。

 

僕はいつしか「他人の力で儲ける」ということに嫌気がさしてきた。

僕にヒトをコンサルする権利があるのか。

 

そう思いながら、葛藤した。数年間。

 

でも、「やりたいこと」を見つけないのに「独立している人」を演じることはできないと思っていた。

 

そこで、かかったのは6年間。やっとたどりついた。

 

これ以外は要らない。これ以外はできない。これ以外はもう後はない。

 

人生で最後のものを考えるとしたら、「経営者(経営に近いもの)は孤独であり、実は相談したいが周りには相談すると弱音と見えることがあるためできない」という点だった。

 

僕は経営戦略の室長をやっていた理由に「こんなに孤独な判断をしている人たちを助けたい」という思いからくるものだった。

 

経営戦略を15年間やったのは、「経営戦略」という言葉がかっこいいからではなく「圧倒的に尊敬できるものの近くで、助かるといわれたかった」からだったのだと思う。

 

経営戦略とは、簡単。「黒子」または「忍者」である。

できたら、トップ。失敗したら、裏方の問題として処理する仕事。「スケープゴート」つまり、「影武者」である。

トップが言えば、問題になるが、経営戦略室が言えば問題にならない。

また、トップは勉強する時間がない。経営戦略室がそのブレインの肩代わりをして、士業の人が話していることを通訳する。

 

それだけ。

 

でも、中小企業にはこれを採用するほどのお金がない。それをITを駆使して、AIではなく、AIより上の人間たちが会話できる場を提供したいと思った。

 

それをやるには、経営者と士業の方々を直接やり取りさせる「場」を提供すること。

重要なものは生きた会話。

これしか今は自分にはない。