アンジェルマン症候群の息子は4月から小学4年生になります。
『羽衣士(はいじ)』といいます。

羽衣士は斜視がありました。
羽衣士生後19日
0歳10ヶ月と1歳8ヶ月の時に手術をしました。
今ではその面影はありません。

10ヶ月検診、『また来てね』のハンコを押されたコトで保健センター通いが始まりました。
羽衣士1歳
1歳、1歳2ヶ月、1歳半、1歳10ヶ月、2歳1ヶ月、これでも先延ばしに予定を組んでいました。
1歳2ヶ月の時、『言葉の先生』が来ているという事で相談をしてみました。
市立病院系精神病院のセラピストでした。
『自閉傾向あり。親がこどものサインを見逃している。親のせい。一生喋れない』
今思い出すとホントにムカつくし、イラつくし、テキトーなコトしか言ってないのですが、
あの時はホントにヒドイ言われようで泣いて帰ってきたコトが、悔しいです。(今なら反論できる!!)
保健センターではその病院しか紹介できないとかで、10ヶ月程通いました。
月に1回、6~8畳程の部屋で、セラピスト(↑とは別人)の出すおもちゃで遊ぶだけ。
ナニか意味のあるコトなんだろうけど、羽衣士はなんなく出来てしまうコトばかり。
10ヶ月目、結果を元に医師の診察。
『自閉傾向なし。この病院でフォローすることはない。なんの病気かわからない。』
と匙を投げられ、違うN病院を紹介されました。
それが2歳になったばかりの頃でした。

紹介されたN病院では、2回目の受診でアンジェルマン症候群を疑われ、大学病院へ。
大学病院では、アンジェルマン症候群の研究をしているS医師の診察を受けました。
『お母さん眠そうじゃないねぇ。羽衣士君動き早いねぇ。』等々。
『でも、可能性はあるから、定期的に診せてね。』とも言われ、年3~4回の受診が始まりました。
同時進行で、N病院ではSTとOTが始まりました。

大学病院では、
脳波検査→てんかんは見られないが、アンジェルマンの波形
染色体検査→異常なし
と。
採血に泣かない羽衣士。

3歳になり、年小時代をN病院での療育母子通園で過ごしました。
羽衣士3歳半
良くも悪くも、羽衣士にとってはぬるま湯だった母子通園時代でした。
このトキの羽衣士は、
『てんてい(せんせい)』が言えました。
予想外のことに弱く、掲示物が風で落ちてしまっただけで号泣することも…

年中からは近所の幼稚園に加配なしで入園しました。
羽衣士入園
入園直前に妹誕生というイベントがあったものの、お友達に恵まれ楽しい幼稚園生活を過ごしました。

年長の夏、一家4人で遺伝子検査を受けました。
その結果、15番遺伝子に欠損がみつかり、アンジェルマン症候群との診断がおりました。

アンジェルマンっぽいから、アンジェルマン確定に変わったことによって、
生活はナニも変わっていませんが、この先を考えやすくなったと思います。

そんな羽衣士も小学4年生。
言葉も増えてきて、出来るコトも増えてきました。

その話は追々………