※補足としていましたが別記事にしました。
ドナーにかかる負担は
身体的なもの以外
つまり検査代やら交通費やら入院費やら
主に金銭的なものは
患者さん側が負担するそうです
そのためドナー候補が複数いれば
×n人分の負担するわけなので
ある程度絞ってから
確認検査をする場合もあると思われます
ドナーの身体的な負担に対し
もっと対価が支払われるべき
とのドナー側の意見も見ましたが…
どうなんでしょうね?
善意って金なの?
結局金なのか?
私はそうは思わないけどなぁ…
とはいえ、私は提供者本人ではないので
なんとでも言えるのです
本人の意思以上に
家族である私が押し付けるようであれば
それは避けるべきだと思うので
まだ提供前ではありますが
負担とその対価について
どのように考えているか
ダンナに確認してみました
Q:提供が1度では済まない複数回になる可能性もある。その場合、身体的負担に対する躊躇とか心理的に負担に感じないか?
→A:複数回になったとしても1年以上間隔を開ける必要があるはずなので(ちゃんと勉強してる!エラい!)あまり心配していない。
それに、次回提供する時にはおそらく年齢制限の上限にひっかかりそう。
患者側の負担も考えると、これが自分にとっては最初で最後のような気がする。
Q:ドナーの負担に対し対価が少ないと考えている人もいるみたいだけど、どう思う?
→A:もともと軽い気持ちでドナー登録をしたけど、対価は全く考えてなかった。ただ役に立てれば、という気持ち。
お金を求めるのは、何か違う気がする。
居住行政から出る助成金や医療保険の保険金で十分だと思う。
とのことでした
私が考えていたよりもずっと
ダンナもちゃんと(?)勉強して考えていたこと
概ね同意見であるということが確認できて
ちょっとほっとしました
コーディネーターもボランティアだそうですし
見える負担と見えない負担
善意とお金のはざまで
いろいろむずかしいですね