先日、比較的近所に住む独身女性同級生二人が、

ランチでしゃぶしゃぶを食べに行くというので混ぜてもらった。

この二人は一緒に旅行へ行くなど休日などにはよく会っているらしい。

 

 

私はこれまでずっと正社員をしながらの子育てで忙しかったこともあり、同級生との交流は最近再開したのだが、卒業してからこれまでだいぶ違う道を生きてきたのかな、、と随所に感じてしまった。

 

そもそも女友達との遊び方ってそういえば飲みに行くくらいであまり知らない。買い物もほとんど一人で出かけ、たまに母と行く程度だし。

学生時代って何やってたんだろうね?

 

 

結局何をしたかといえば、予定していた店が見つけられず、私が目星をつけていた和食店に行き、食事とおしゃべり。

その後ブラブラとショッピングしてパンケーキを食べさらにウィンドウショッピング。

 

ザ・ノープラン

 

彼女らみたいに私は深く考えずお金を使うなんてできない。

そもそも大体の予算を考えてから出かける。

そして彼女たちが普段どんな店で買い物しているかなんて知らないし、どんなものが好きなのかもよくわかっていなかった。

何かが欲しいと誰かが言えば付き合って付いていくが、私は予定していないものはあまり買わない。っつぅか買えない。気分で買ってたらほぼ安物買いの銭失い、もしくは破産する。

 

ということで、まずお金の使い方が全然違った。

 

 

そしておしゃべり。

 

私の話の内容がどうしても家族の話になってしまうのだろうか。

無意識なのだが「子供のいる親の会話(発言)になってる。」と言われた。

 

まぁ彼女らにしてみれば想像ができないだろうし、全く別の異世界に感じるのかもしれない。

 

実際、私も自分の子供ができるまでは好きではなかったし、考え方が180度変わってしまったというのはある。反面、彼女たちは変わらない。

でも本当に私だけが変わってしまったのだろうか?

 

会話の中で「子供の泣き声が大っ嫌い」と言われたのはちょっとショックだった。耳をつんざくようなあのキーンとした声が不快なのはわからないでもない。でも、それは理由があると思うのだ。放ってはおけない、どうにかしないといけない、そう思わせるためのあの声なのだ、と。

 

不安に感じたり、戸惑っていた小さい子供の泣き声を、最近では可愛く感じるようになったのは、経験のなせる業かただの他人事だからなのか。

 

彼女はもともと神経質なところがあり、人混みで酔ったり乗り物酔いになったりすることもあったが、不寛容なのは神経質と関係があるのだろうか?

 

 

時間の使い方もお金の使い方も考え方もなにもかもが違っていたのでかなり困惑した、ある週末の出来事だったのでした。