ほぼ出ずっぱりの正月休みの中で、半日だけひとり家でのんびりできる日があったので、ずっと見たかった映画を見ることができた。
遠藤周作原作『沈黙』をマーティン・スコセッシ監督によってハリウッド映画化された作品。
1971年にも映画化されてるけど、これは日本で制作。こっちも見てみたい。
因みに私は基本的に集中力が持続しないタイプなので、活字より映像から入ることが多いこともあり、
この作品も原作は未読です。
この作品はかなり前から映画化の話があり、当時はダニエル・デイ=ルイスがキャスティングされるという噂だったので、楽しみにしてたら…いつの間にかパッタリ話が途絶え…忘れた頃の2017年に日本でもやっと公開。キャストも当初の話と全然変わってしまったしこちらの熱も当時よりは冷めてしまい、見よう見ようと思って気がついたら公開から2年も経ってた。
⭐️ ⭐️ ⭐️ ⭐️ ⭐️
上映時間は2時間40分。
この手の内容が重たい映画は家族は全く見ないし、じっくり見るにはひとりの時間と場所が必要だった。
ただし、ポルトガル宣教師がキリスト教弾圧下の日本へ渡る話なのだが、
ポルトガル語を話さないポルトガル人宣教師
日本人がやたら英語を喋る
この最初に感じる違和感を無視しないと前に進まない
しょうがないが良くも悪くもハリウッド映画です。
メインキャストは豪華ですが、市井の人々を演じる俳優さんたちは地に足の付いた演技で脇を固め、
浮足立ってない説得力のある映画に仕上がっていました。
⭐️ ⭐️ ⭐️ ⭐️ ⭐️
私自身は寺社に近い出自とは言え、もともと世界史が好きなこと、世界史、特にヨーロッパ史を勉強するとキリスト教について触れることも多くなる。さらにプロテスタントの学校だったので実家が教会だとかクリスチャンの友人も多かった。そしてキリスト教の授業もあるので、信仰について考えることも自然に多かった環境にあった結果、前提として「神を信じる(信仰心の篤い)クリスチャンは強い」という考えが私の中にある。
それは原作者の遠藤周作氏や曽野綾子氏の文章を読むとわかりやすく如実に感じるのだが、ブレない確固たる信仰心を軸にしているからこそ生まれる強さな気がしてる。
思い込みと言えばそうかもしれないが、日本では古くから存在する仏教や神道など、その土地や民衆により変幻自在に全てを受け入れる宗教が浸透している。このことは寛容である反面つかみどころがなく、どちらかというとしなやかさが強調される。(よく言えば)
そういう意味でもまさにキチジローは日本(人)そのものを象徴する。
客観的に見ると、キチジローは切支丹を自認するが簡単に棄教できる裏切り者だ。
そして裏切るたびにに赦しを乞うという振る舞いは狡猾というか図々しいというか。そのように写ってもおかしくない。それでもしなやかに順応して生き残っていくのだ。
それに対して宣教師たちは、禁教令が敷かれた厳しい状況下でも信仰心を保とうと必死に困難な状況を乗り越えようとする。神は何も答えてくれなくても。(=沈黙)
仏教であればここで苦難を乗り越え、また乗り越えられなくても悟りを開く(開き直る?)ことで自分自身と信仰心との折り合いをつけることができそうだが、キリスト教は神がいて神の子イエスがいてその言葉である聖書に沿って生き、信じ、赦し、救う、という特にカトリックは一種の縛りがあるので、逸脱するのが難しいと想像する。
本来の姿ではないとしても布教していくのか、布教と言えるのか。信仰を保つのか、棄教するのか。
宣教師としては答えを神に導いてもらいたくても沈黙して教えてもらえずひたすら自問自答して、いわば宗教者としての極限状態の中で出した答えがこの映画の結末だ。
音楽もほぼなく、エンドロールの間もずっと波の音が流れているだけ。
残酷な場面もあるが、それ以上は過剰な演出も映像もないのでショッキングではなく自然で、それだけ映像やストーリー、登場人物の心の機微に集中できた。
心がざわざわしている時の方が胸に響く内容かもしれない。
迷うことなどない人にはただただ暗くて退屈な映画かもしれない。
そんなことを思った映画なのでした。
⭐️ ⭐️ ⭐️ ⭐️ ⭐️
この映画を見て、『海と毒薬』も見てみたいな、と思った。こちらは1986年公開の邦画。
その前に本を読め!と言われそうだけど。
そして主人公、セバスチャン・ロドリゴ役のアンドリュー・ガーフィールドは2010年公開の
『わたしを離さないで』(カズオ・イシグロ原作)に出ていて、ちょっと前に見たばかり。
こちらは古めかしい映像なのにSFというちょっと『アルジャーノンに花束を』に映画全体の雰囲気が似ていた。
じっくり映画をたくさんまたみたいなぁ〜