行きたいと思っていて随分と経ってしまいました。

 

 

いまだ復旧していないJRの駅から見えたはずの母の実家であるお寺。

半島のちょうどくびれに位置し、海岸からほど近いため、津波のたびに目の前の田んぼが海になってしまうような場所ですが、お年寄りでもお参りしやすいようにとわざわざ低地に建てたのだそうです。

 

 

明治の津波でも本堂の大柱は残存しましたが、7年前の津波では鐘楼の土台以外本堂も二つの参門もお地蔵さんも位牌堂も庫裏も離れもすべて流されてしまい、たくさんの鯉が泳いでいた池もすっかり埋まってしまいました。

 

 

親族は裏山に逃げ、高台にあるお墓も無事でしたが、避難所になっている小学校も2階まで浸水する被害を受け、多くの周辺住民が犠牲になりました。あんなに高い防潮堤もあったのに。まだ雪が降るほど寒い3月の津波当日は、卒塔婆を燃やして暖を取って一夜を山で過ごしたそうです。かける言葉も見つからないし結局は何の助けにもならなかった、何もできなかったという罪悪感しかありません。

 

 

今回訪れることができたのは、法事があったから。これまで檀家や地域の弔事で忙しく、身内のことは後回しになっていました。まだ本堂も仮設のプレハブのため、先に新しく建てた位牌堂で延び延びになっていた従兄の正式な住職就任と結制、先々代(私の祖父)33回忌などなどもろもろの法要をまとめてやっとできることになり、家族で呼んでもらったからです。

 

 

以前にも結制に出席したことがあるのを思い出しました。

ひたすら三拝を繰り返し、禅問答のような法戦式があったり、総勢50名近い県下のお坊さんが一斉に般若心経を唱える様は、その場にいるだけでご利益ありそうで、眠くなることなく興味津々でした。

 

 

食事の時は長男の大学の先輩にあたるお坊さんと今昔話で盛り上がったり、次男はまだ純朴なかわいい中学生のハトコになんだか悪そうな話を吹聴して先輩風を吹かせていた様子。

 

 

次いけるのはいつのことになるやら…

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇ 個人的な思い出写真館 ◆◇◆◇

 

 

向かいの集落あたりに駅があり、

ひぐらしのなく夏の夕方

祖母がよく電車を見送ってた。

参門もあったが流された。

左右の湾から津波が来て渦を巻いていたそう。

 
 

鐘楼の土台以外は流された。

震災後新しく盛り土したのが左奥。

 
 
 
そしてお地蔵さんもすべて流された。
 
 
 

海へ続く道。今は通行止め。

よく水着で通った。それほど海から近い。

 
 
キレイな白い砂浜の海岸だったんだけどね。

 

 

 

墓地のある高台。すぐその下まで浸水。

先のほうに元の1.5倍の高さになった防潮堤。

 
 
 

下から見たところ。階段はほぼ浸水。