『君たちはどう生きるか』
私はこの本をちゃんと読んだことはないが
読む必要もない
私にとっての大事な本は他にあるから
それは
『かもめのジョナサン』を書いた
リチャード・バックの『イリュージョン』
村上龍氏の翻訳は賛否両論のようですが
今の私自身の礎となっている本です
中学1年の時に好きだったミュージシャンが
好きな本として挙げたため読んだという
軽いきっかけだったが
考え方やとらえ方のヒントをもらい
すべてを悟ったといっても過言ではない
勇気など持てないまま
この歳になってしまったが
それでも何かの岐路に立った時に
後々どの方向に進んだとしても
それは自分で選んだ道
と納得、満足できるのは
この本のおかげだと思う
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自我は一般的に15歳には確立される
というのが持論だが
お腹が満たされる状況にあるなら
自分はどこからきてどこへ行くのか
ということを自分で確認する年ごろが
この10~15歳ころの年代だと思うから
だからこそ自分のルーツ(どこからきて)が知りたくなり
何が好きでどうしたいのか
(どこへ行くのか)
つまり
自分とは何か
というしょうもないことを
延々と考えていきながら
自我が確立していくのが
ローティンだと思ってるわけだ
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なぜ青臭いことを書こうと
思ったかというと
冒頭の『君はどう生きるか』
に感銘したという人が
20代だったり30代だったりの
大の大人が涙流して読んでいることに
ものすごく違和感があったからだ
いままで気が付かなかったのか?
これまで何も考えてこなかったのか?
え?いまさら?
となったわけです
そこで
私には別にバイブルがあるからいいや
となったのはいいのですが
実は数年前に
一度文庫本を処分してしまってた
もう私には必要ない
と
これを機に
もう一度読んでみようと探したら
残念なことに絶版になってました
そのため中古本を購入しました
ウチのほぼ大人の子供たちが
この『君たちはどう生きるか』に
いまさら感動してるようじゃまずいな
と探りを入れたところ
次男は学校の図書室で
漫画版をすでに読んでました
感情の起伏が激しいようで
意外と理性的な次男には
ぜーーーんぜん響かなかったみたいです
ある意味素直に育ったからこそか?
図太いだけか?
親に似て
繊細には出来上がらなかったらしい
長男もそうだけど
いわゆる悟り世代ってのもあるのかな?
感情的になってどうのってのがないので
傍からはわかりづらいんだよね
ま、きっと何も深く考えてないだろう
ダンナに似て