『君たちはどう生きるか』

 

 

私はこの本をちゃんと読んだことはないが

 

 

読む必要もない

 

 

私にとっての大事な本は他にあるから

 

 

それは

 

 

『かもめのジョナサン』を書いた

 

 

リチャード・バックの『イリュージョン』

 

 

村上龍氏の翻訳は賛否両論のようですが

 

 

今の私自身の礎となっている本です

 

 

中学1年の時に好きだったミュージシャンが

 

 

好きな本として挙げたため読んだという

 

 

軽いきっかけだったが

 

 

考え方やとらえ方のヒントをもらい

 

 

すべてを悟ったといっても過言ではない

 

 

勇気など持てないまま

この歳になってしまったが

 

 

それでも何かの岐路に立った時に

 

 

後々どの方向に進んだとしても

 

 

それは自分で選んだ道

 

 

と納得、満足できるのは

この本のおかげだと思う

 

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

自我は一般的に15歳には確立される

 

 

というのが持論だが

 

 

お腹が満たされる状況にあるなら

 

 

自分はどこからきてどこへ行くのか

 

 

ということを自分で確認する年ごろが

 

 

この10~15歳ころの年代だと思うから

 

 

だからこそ自分のルーツ(どこからきて)が知りたくなり

 

 

何が好きでどうしたいのか

(どこへ行くのか)

 

 

つまり

 

 

 

自分とは何か

 

 

というしょうもないことを

 

 

延々と考えていきながら

自我が確立していくのが

 

 

ローティンだと思ってるわけだ

 

 

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

なぜ青臭いことを書こうと

思ったかというと

 

 

冒頭の『君はどう生きるか』

 

 

に感銘したという人が

 

 

20代だったり30代だったりの

 

 

大の大人が涙流して読んでいることに

 

 

ものすごく違和感があったからだ

 

 

 

いままで気が付かなかったのか?

 

 

これまで何も考えてこなかったのか?

 

 

え?いまさら?

 

 

となったわけです

 

 

 

そこで

私には別にバイブルがあるからいいや

 

 

となったのはいいのですが

 

 

実は数年前に

一度文庫本を処分してしまってた

 

 

もう私には必要ない

 

 

 

 

 

これを機に

もう一度読んでみようと探したら

 

 

 

残念なことに絶版になってました

 

 

そのため中古本を購入しました

 

 

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ペーパーバックはもともと持ってた物

 

 

 

 

 

 

 

 

ウチのほぼ大人の子供たちが

 

 

この『君たちはどう生きるか』に

 

 

いまさら感動してるようじゃまずいな

 

 

と探りを入れたところ

 

 

次男は学校の図書室で

漫画版をすでに読んでました

 

 

感情の起伏が激しいようで

 

 

意外と理性的な次男には

 

 

ぜーーーんぜん響かなかったみたいです

 

 

ある意味素直に育ったからこそか?

 

 

図太いだけか?

 

 

親に似て

繊細には出来上がらなかったらしい

 

 

長男もそうだけど

 

 

いわゆる悟り世代ってのもあるのかな?

 

 

感情的になってどうのってのがないので

 

 

傍からはわかりづらいんだよね

 

 

 

ま、きっと何も深く考えてないだろう

 

 

 

ダンナに似てグラサン