母のこと 四十九日 | Destination Anywhere

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着地点が見えないまま迷走中~。

 

またもご無沙汰してしまいましたaya

 

 

 

母のことを書きたいと思いつつ、書けないまま、ずるずるきてしまいました汗

書きたいことはたくさんあるのに、いざPCに向かうと

思ったことや考えたことがまったく言葉にできません。

 

 

もうそろそろいいかなと思ったけど、全然だめですね~えーん

現実にあったことだけ、忘れないうちに書きたいと思います。

 

 

 

 

10月5日は母の(生きていれば76歳の)誕生日でした。

(注:先月の話しです汗汗

 

 

実家へ行ったら、お仏壇に

私が送った小菊の鉢植えが供えてありました。

 

 

 

 

 

私と姉には計画があり…

母がなくなる前日(ほとんど覚醒しなかった日です)

 

もう…もしかしたら春まで持たないかもしれない。

今度母の調子のいい時に、母の生まれ故郷、

実家とその近くの土手から見える景色を見せてあげよう…

実家には上がれないだろうけど…車椅子で連れて行こう。

他に行きたいところがあるかもしれないから 一応母に聞いて

OKなら母の誕生日頃にでも連れて行ってあげよう…

 

そう話してたのです。

 

そしてその日、ほんのちょっと母の意識が戻ったかな?って時、

なんとか生きる力を取り戻してほしい姉が、すかさず尋ねると

「うん、うん」って頷いたらしいです。

 

この翌日母は旅立ってしまったのですが。

 

 

それから約20日後、母の誕生日の翌日に

私と姉はそれぞれ(笑)自分用の小さな母の遺影を持って 行ってきましたよ。

私自身も結婚前か、娘が生まれた後?行ったのが最後です。

 

突然行ったのが悪いのですが、母の実家はお留守でしたガーン

でも車を置かせてもらい

 

「ほら○○んち(地名が入ります)だよ~。懐かしいね~」って外から見せて

 

 

土手まで歩きました。

 

 

遺影持って、土手を歩く女二人…怪しすぎる汗

時々近くを自転車が通る時は そっと隠しました。

 

 

 

夕焼けが終わって

 

 

暗くなるまでいましたおねがい

行きも帰りもずっと、姉と母の思い出話をしていました。(往復1時間ちょい)

(この日は娘は部活で来なかったので)

笑ったり、ちょっと泣いたり、お互いに、知らない母の話しなどもしました。

 

 

 

 

 

 

そして先日11月4日は、母の四十九日の供養日でした。

3日に四十九日法要をお寺で執り行いました。

 

 

もともと私は前日から実家入りする予定でしたが

姉がその前日から調子悪いとのこと(吐き気、腹痛)

私が到着後、病院に行きました。

 

 

なんと結果はウイルス性の胃腸炎ガーン点滴うって帰ってきました。

明日の食事会はおろか、納骨も立ち会えるか危ない。

とりあえずあっちの家(二世帯住宅です)から出ないで?汗な状態。

 

 

おかげで花や食材の買い出しや、部屋を整えたり

最後の夜のお膳(毎日朝昼、祭壇にお膳をお供えしていました)

それから翌朝の朝食、そしてお墓に持って行くお膳も私1人で用意することに。

(もちろん日々の家族の食事も汗

 

図らずも、最後の最後でお役目をもらえたようで…

姉には申し訳ないけど、ちょい嬉しかった照れ

母が食べられてた頃は、母の好きなものをよく作ってたし

家のことも遠慮なくやってたから。

 

最後の晩餐は天ぷらと煮物、母の実家風の五目白和えを作りました。

 

 

 

翌日

姉は拝みと納骨にはなんとしても立ち会いたいと、マスクして参列。

 

 

 

お経をあげていただき、お焼香をし、説法を拝聴し、お墓へ。

 

 

お墓では、斎場の方がお供えを用意し待っていました。

ご住職立ち会いのもと、この方が納めてくれます。

お骨を納める時、思わず小さく「バイバイ」しました。

なんだか急にこみ上げてくるものが~しょぼん

さすがにもう誰も泣いてないのにどうした私?って一瞬考え

そうか、私はここには入らないもんな~。

(父はもちろん、姉も跡取ってるのでいずれここに入る)

私は、ここでお別れですおねがい

 

 

 

 

毎日祭壇に供えていたお膳は、最後にお墓に供えました。

(ちなみにこれは斎場の意向であり、祖父母の時にはしてなかったと思う)

終ったらすぐに片付けられてしまったけど

ゴミになってしまうから、しかたないですね。

 

最後の最後は、また夕べ作った煮物と和えもの(笑)

もちろん新しくよそってますが。

だって父母は何十年も朝はパ~ン♪ですし汗

お新香、ご飯、味噌汁は新しく作りましたよチュー

 

 

 


 

 

その後はホテルで食事会。

(うちの方は「お斎」って言わないので)

姉は欠席なので、ここでもがんばりましたグッド!

テーブル全部まわりましたよ。

 

母方の親戚、特に伯父からは私が母に一番似ていると。

遠目母にそっくりとも…笑い泣き汗

この伯父は春に息子に先立たれ、今度はたった1人の妹に。

自身も健康とは言えないし、気の毒で見てられない。

 

 

先日伯父の家(母の実家)に行ったこと。

遺影を持って夕焼けの中 土手を歩いたこと。

それが母との最期の約束だったことを話しました。

 

 

そして

 

伯父のため、父のため、何より母のために

 

 

母は父と結婚してホントによかったといつも言ってたこと。

夫婦仲が良くてずっと幸せだったこと。

父が一生懸命 母のお世話をしてたこと。

皆によくしてもらえ、最後の日も…

まるで自分でセッティングしたかのように

孫やお世話になった方ほぼ全員に来てもらえ、きっと満足だったと思います…

 

ってなことを、何の脈絡もなく突然話しました。

小林麻央さんじゃないけど、難病を患ったからって

可哀想なだけの人生じゃなかったって伝えたかった。

 

 

四十九日を終え、母の位牌はそれまでの白木のものから

正式なもの(黒檀?わからん)になりました。

 

 

当初父は、その時は作り替えればいいのだからと

母だけの位牌を作ろうとしてたのですが

お母さんはこの方が絶対喜ぶからプンプン!!と、

いずれ父の戒名を入れられる、夫婦用のものに私と姉で説得しました(笑)

なので母の位牌は右側が空いています。

 

 

「なんだか待たれてるみたいだな~あせる」と、言いながらも、

そのように作ってくれた父。

母はホントに幸せと思うおねがい

 

忌明けに初めて見た自分の位牌に、きっとにっこりしたろうな照れ

 

 

 

 

 

長くなってしまいましたおじぎ

ただあったことをつらつらと書きました。

まとまりなくてごめんなさい。